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昭和の糸島305
2021.02.5

干拓事業の供養塔序幕 昭和60年2月
幕末から明治初めにかけて行われた今津湾干拓事業犠牲者の供養塔が、福岡市西区の福岡市農協今津支店の敷地内に建立され、除幕式が行われた。
今津湾干拓事業は、黒田藩が湾内の瑞梅寺川河口一帯の新田開発を目的として安政5年(1858)から始められた。明治元年(1868)からは整地作業が行われ、糸島、早良地方などから「一日米一升を支給する」条件で作業員を集めたが、同2年9月ごろからは疫病が流行、食糧事情の悪化もあって約束が守られず、翌年8月までに約400人が死亡したと伝えられている。
この干拓事業では約80㌶の新田が造成され稲作が行われたが、低湿地であると同時に塩分が多く、稲作にはあまり適していなかった。
供養塔の建立を進めた今津校区自治会の大神良人会長は、「このままでは400人もの犠牲者を出しながらも、干拓事業が進められたことが忘れ去られてしまう。供養塔を建立することで犠牲者の霊を慰め、歴史として残したかった」と語っている。