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昭和の糸島354
2022.02.18

姫島に獄舎再現と歌碑建立 昭和45年4月
志摩望東尼会(大部実会長)が、かねて「明治百年記念事業」として志摩町姫島に建設を進めていた野村望東尼の歌碑建立と獄舎の復元が完成、昭和45年4月6日に除幕式を行うことになった。
野村望東尼は本名を野村モトといい、明治維新の動乱期に多くの勤王の志士たちの活動を手助けしていたが、次第に福岡藩による尊王攘夷派への弾圧が強まり、慶応元年(1865)10月、姫島へ流刑された。
翌年9月、高杉晋作の命を受けた藤四郎らによって姫島を脱出、山口県に移った。山口では毛利家によって厚遇されたものの、薩長連合軍の必勝を祈願して行った断食で体調を崩し、慶応3年11月6日に亡くなった。
姫島での獄中生活は一年足らずだったが、島民をはじめ糸島の人たちとの交流が生まれ、短歌を書いた短冊など、多くのゆかりの品も残っている。
同会では、「今まで望東尼を偲んで姫島を訪れる人たちは、獄舎跡に建てられた記念碑を見るだけだったが、今後は望東尼の足跡をより一層知ってもらえる」と話している。