糸島新聞
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続・糸島伝説集【12】

2022.01.21

薬売りに扮した謎の間者 志摩桜井 (上)

 徳川初期の慶安(1648~1652)のころの話だと伝わる。志摩郡の桜井村では、與土姫(よどひめ)宮の秋祭りの行われる八月十八日の日脚も西に傾きかけたころ、行商姿の若い男と中年の男とが、この村に入り込んできて家々を回って薬を売り歩いていた。

 商いは丁寧さを欠き、少し横柄でもあったので、あまり買ってくれる家はなかった。若者が中年の男に対する言葉遣いや仕草などから、若者が主人で中年男性が従僕らしいと村人の目に映った。

 二人は村の隅々まで歩き回ったため、疲労と空腹を覚え、めぼしい家に食事を乞うたのだが、横柄な物言いと怪しげな態度を不安に思って、ことごとく申し出を断った。

 途方に暮れた二人は、ついに里正(庄屋のこと)の家に頼み込もうと、天ケ岳から吹き下ろす冷たい風が、黄金色に実った稲田の垂れ穂を波打たせる道を、急ぎ足で村はずれにある里正の家へ向かった。

 やがて二人は里正の家の門をくぐり、慇懃(いんぎん∥丁寧)に「病と疲れで困窮しているので一夜の宿を乞いたい」と窮状を訴えた。しかし、里正は二人の様子を見てひと目で他国者と感じ、「旅行手形を所持していない者をみだりに宿泊させてはならぬ」との幕府の達示を伝え、宿泊の申し出を断った。

 ただ、二人が空腹であることを見かねた里正は、夕餉だけは出してやることにした。最初、喜んで食べていた二人だったが、不意に若い男が突然、無遠慮にも「酒を所望したい」と言い出した。さすがにこれでは失礼と、従者の中年の男が言葉を制したものの、若者は聞き入れず、従者は「主人の頼みでは…」と、そっと家人に申し込んだのだが、たちどころに断られた。

 里正は「他人の家で食を乞う分際で我がままな…」と言うと、若い男は傲慢な態度で「代は払うから厄介にはならない」と口答えする。従者の中年の男は、若い男をなだめるとともに、里正に無礼を謝った。

 「このままでは大変な事になりかねない」と、家人は里正を奥の間に連れて行き、従者の中年の男は、里正の後を追おうする若い男を力の限り引き止めた。

 こうして、やっとの思いで旅の薬売り二人は里正の家を出た。すでに辺りは暗くなり、地理も不案内のため、夜露に脚絆を濡らしながらあてもなく歩いた。しばらくすると気持ちが鎮まったのか、若い男は先ほどの己の行為が気恥ずかしくなってきた。従者の男は低い声で「若君」と呼び、「今日のような短気では、御主君からの大任を果たすどころではございません。私がいくらお諫め申し上げましても、このままでは到底大任を全うすることはできません。私は御主君への申し訳のため切腹して相果てますよりほか道はございませぬ」と涙を流して語った。

 若い男は「済まなかった。許してくれ。どうか今晩のことは勘弁してくれ」と、従者に切腹を思いとどまるよう謝るのであった。従者は「臣下の分際で若君に今のようなご無礼を申し上げては相すみませぬ。しかし、大任を帯びた身であればこそ、何卒悪しからず思召して今後の御自重をお願い申し上げます。幸い、今宵は大事に至らずに済んだので、早くこの地を立ち去りましょう」と、再び野北村の方へ歩き始めた。

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