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続・糸島伝説集21
2022.04.8
猟師をやめ熱心に信仰 長野の仏安兵衛(下)
話を聞いて急いで家に戻ると、父はすでに亡くなっていた。父の最期の様子を聞くと、ちょうど山で大猪を撃ったのと同じころだということが分かった。
「これは夢に出てきた観音様の戒めを破ったからに違いない。自分の道楽のために父を亡くしてしまった。なんて馬鹿なことをしたのだろう」と悔やんだ。
寛政二年(1790)六月十三日、父を懇ろに葬った。それ以来、昼となく夜となく安兵衛の頭の中には、これまで仕留めた動物たちの苦しむ姿が出て来る。夜寝ているときには、あまりにも恐ろしい形相をみせる動物たちに、思わず叫び声をあげて飛び起きることもたびたびであった。
そうした苦悩の日が幾日も続いた。安兵衛は父の死後、いままで一日も手放すことのなかった鉄砲を擲(なげう)ち、信仰の心を芽生えさせ始めていた。飯原から長野へ養子に来ていた安兵衛は、生まれ里の金照寺を訪れ、助けを求めた。
当時、高僧といわれた金照寺の和尚は、安兵衛に向かって「お前は常日頃、無信心で平気で殺生していた。実に不憫な男じゃ。しかし今日、仏縁があって誓願の綱に取りすがろうとすることは本当にありがたいことじゃ。仏の大慈大悲(だいじだいひ)は善人悪人の区別はない。今日からお前は仏の弟子じゃ、何も考えることはない。仏にすがってさえおれば、お前は救われる」と、温かいまなざしで説いて聞かせた。
安兵衛の目からは法悦の涙が流れて止まらない。彼は生まれ変わったような心で、金照寺を後にした。
以来、安兵衛は「仏の有難さは自分一人のものではない」と、近郷近在を回って仏縁の有り難さを説いた。そんな活動の甲斐もあって、数年後には安兵衛を中心とした信徒の講が西怡土方面の各所に誕生した。
あちこちの寺で報恩講が営まれるたび、村はずれの路傍に下座し、地に頭をすりつけて僧たちを迎える安兵衛の姿があった。
文化三年(1806)四月二十三日、その信心講に関係を持つ西怡土真宗十二カ寺に対し、本如上人から御真筆の六字尊号が下賜された。
安兵衛は入信の日から五十六年間、ほとんど献身的に仏の道に仕え、弘化三年(1846)九月二日、八十余年の高齢で生涯を終えたという。