農業へ再び思い/ジョイプランツ物語

農業イメージ

 20代半ば、糸島市で新規就農を目指した若者3人組がいた。楽しんで野菜作りをしようと、名付けたチーム名は「ジョイプランツ」。市内の農園で研修を受ける傍ら、3人は小さな畑を借り、無農薬で野菜の栽培を始めた。だが、その売り上げは、とても生活していけるものではなかった。活動は1年もたたずに中断。3人はいったん、別れて働いた。一人一人が1年で100万円を貯め、それを持ち寄って再出発するつもりだった。資金は用意できた。しかし、進みたいと思う道は違っていた。別々の歩みをしながらも親交を保ち、不惑の年頃となった3人。それぞれのやり方で、糸島で農業に関わっている生きざまを追った。

(2023年1月1日掲載、糸島新聞)

目次

珍しい野菜を多品目に/鮮度にこだわり夫婦で切磋琢磨/おき農園 沖祐輔さん

 土地がない、機械がない、倉庫がないー。ないない尽くしで農業を始めた3人組のジョイプランツ。沖祐輔さん(39)はこのチャレンジを経てから、引津湾の海辺近くの糸島市志摩久家の畑で野菜作りを始めた。
 福岡市中央区から移住してきた沖さんが最初の半年、地元の農家から借りることができた畑はわずか200平方メートル。「ちゃんとやっている姿を地元の人に見てもらい、農業で暮らしたいという熱意をアピールしました。こうして年々、新しい借地を増やすことができました」。今では9カ所、延べ1ヘクタールで野菜を作る。
 妻の恭代さん(35)が2人の幼児の子育てをしながら農作業を手伝う。少量多品目栽培を行い、年間50品目以上を生産。なかなか手に入らない珍しい野菜の種を仕入れるなどして育てる。カリフラワー1品目だけでも、つぼみがサンゴのような形をしたユニークなものや、紫やオレンジ色をしたものなどさまざま。
 糸島市をはじめ、福岡市都市部のレストランなどでも「糸島野菜」の需要が高まる中、沖さんはオンラインで注文を受け付ける。「糸島の野菜をサラダにして生で出しているレストランが多い。朝に収穫した野菜をその日に箱詰めして出荷するので、鮮度の良い旬の野菜がこうした店に届けられます」。
 沖さんは農薬や化学肥料を使う従来型の慣行栽培をしているが、使用は必要最低限にとどめる。いろんな野菜を植え、多様性を増やして害虫の大量発生を防いだり、化学肥料の施肥は生育を見ながら野菜が欲しがっているときだけに行ったりしている。
 「気温や雨量の変化を見ながら、せん定のやり方や支柱の立て方を変えていかないといけない。試行錯誤の連続。まだまだ、栽培技術の蓄積をしていかないと」。沖さん夫婦は、味わう人に笑顔になってもらおうと、その歩みを止めない。

試行錯誤しながら多品目栽培をしている沖さん夫婦

焙煎に生産者の思い込め/土への欲求今も/ペタニコーヒー経営、竹田和弘さん

 「農業をやるなら無農薬栽培。正直な生き方をしたいと思っていた。でも、稼ぐということを理解していなかった」。糸島市志摩初で、コーヒー豆を焙煎し販売する店「Petani coffee(ペタニコーヒー)」を営む竹田和弘さん(40)は、2人とは異なり農業を生業としなかった。
 ただ、農業とまったく無縁というわけではない。4年前から、サツマイモづくりを始め、昨年から店頭で焼き芋を販売している。「畑仕事は大変だと、かつての経験で分かっている。でも、どうしても土に触れていたいという欲求があるんです」。
 大学を卒業後、3年半の会社員生活を経て、ジョイプランツの一員となった。「安心安全な野菜を多くの人に食べてもらいたい」。その思いだけで真摯に、ニンジンをはじめ、多品目の野菜を、農薬を使わずにひたすら作った。だが、収穫量を増やし売り上げを確保しないと、野菜作りをいつまでも続けてはいけないことを十分に意識していなかった。
 理想に燃えて打ち込む農業。しかし、それだけでは生活していけない現実があった。再挑戦を諦めた。
 ただ、自分に正直でありたいという信念は貫いた。もう一つ、純真に向き合えるものがあった。コーヒーだった。学生時代、栽培管理などが適正になされたスペシャルティコーヒーと出合い、コーヒーに入れ込むようになった。会社員時代には、コーヒーマイスターなどの資格を取った。
 ジョイプランツ時代に2カ月、インドネシアなどでコーヒー豆の農場を訪ねて回った。掘っ立て小屋で暮らす生産者の貧しい現実を目の当たりにした。店名の「ペタニ」はインドネシア語で農家を意味する。「農業を体験しているからこそ、農家の大変さがより伝わってくる。だからこそ、豆を丁寧に扱える。豆のポテンシャルを引き出すことに没頭するんです」。求道的な日々が続く。

農家の大変さを思い、丁寧に焙煎する竹田和弘さん

夢語りチャンス引き寄せ続けた10年/糸島磯本農園 磯本浩英さん

 朝日が昇り始めたハウスの中で、朝一の収穫作業が始まる。黒ビニールのマルチの上に鮮やかな赤い実が顔を見せる。そっとちぎり取って収穫用のコンテナに載せていく。選別を済ませると、糸島市志摩の農園から、一昨年オープンさせた天神にある福岡パルコの「いちごやカフェTANNAL2号店」へイチゴを届けに走る。
 2011年に新規就農し、イチゴ農家になった磯本浩英さん(40)。この10年で観光農園、加工品開発、直営カフェ開業、と次々と事業を展開させてきた。
 「イチゴを作って、観光農園やカフェをしたい。そこで竹田のコーヒーを出して、沖の野菜を売って…」。ジョイプランツ解散後も、夜を徹して仲間とファミレスで夢を語り合った。だが、最初からスムーズにいった訳ではなかった。新たな研修先で、朝4時から働き、昼からは農業資材販売や飲食のバイトをしながら、イチゴ農家への道を探った。
 念願の自分の土地を見つけた後も野菜を作りながら、「いつかイチゴを作りたい」と周囲に言い続けた磯本さんに、農業委員を通して同じ集落のイチゴ農家、濱地恵さんが「やってみるか」と声をかけてくれた。譲ってもらったハウスで、見よう見まねで始めたイチゴ栽培。今やハウスは16棟に増え、正社員8人、パート・アルバイト30人を雇用する会社となった。
 「失敗しても切り替えが早く、いつも前向き。会うたびにやりたいことが湧いてきてるみたいです」。商工会の経営指導員として伴走する木村純子さんは、実業家としての磯本さんの性格に太鼓判を押す。
 「今年の苗の欠損は1割程度に。農園スタッフや、いちご出荷グループの先輩が折に触れ苗床を気にかけアドバイスをくれたおかげ」。我流になりかけていた栽培方法を見直す余裕がやっと出てきた。「十分すぎるキャパシティがそろったので、基盤を強固にし、中身を充実させていくことを大切にしたい」。原点であるイチゴハウスで、信頼できる仲間に囲まれ、磯本さんはじっと前を見据える。

イチゴ色のキャップも日焼けして少し落ち着いた色に
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この記事を書いた人

1917(大正6)年の創刊以来、郷土の皆様とともに歩み続ける地域に密着したニュースを発信しています。

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