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■見つかるか 幻の王墓 井原ヤリミゾの調査開始
 「伊都国」 ゆかりの前原市でこのほど、 市教委による井原ヤリミゾ遺跡の発掘調査が始まった。

 現場は、 同市の三雲南小路遺跡から南に約170m離れた場所。 江戸時代の記録は、 この付近から銅鏡21枚など豪華な副葬品が見つかったと伝えている。

 市教委は幻の伊都国王墓と呼ばれる井原鑓溝(やりみぞ)王墓が存在する可能性が高いとみており、 今後の調査の進展が注目される。

記録に残る幻の王墓

 江戸時代の天明年間(1781―88)に、 筑前国怡土郡井原村の三雲村との境界の鑓溝というところで、 溝の中に壺(つぼ)形の甕棺(かめかん)が埋まっており、中から多数の銅鏡や刀剣などが見つかった。

 福岡藩の国学者青柳種信が書き記した 「柳園古器略考」 の記述や、 残した拓本から、 出土した鏡がすべて方格規矩(きく)鏡だったことや、 巴形銅器、 大量の朱(しゅ)などが副葬されていたことが分かっている。

 副葬品の内容から伊都国王の墓であったと考えられているが、 出土品はすべて散逸し、 今では遺跡の正確な位置さえ分からなくなってしまっている。

キーワードは近世水路

 一昨年、 今回の発掘現場に隣接する場所から井原鑓溝王墓と時期が重なる弥生時代後期(1―2世紀)の墓域を検出、 木棺墓3基から方格規矩鏡と内行花文鏡2枚の計3枚が出土した。被葬者は、 貴重な鏡を持つことができた王族など、 王に近い人物と考えられる。

 また柳園古器略考の記述から、 王墓発見の手がかりとなる近世の水路跡の1部も見つかった。 江戸時代にも使われていたであろう 「大正時代の地籍図」 と一致する水路跡が、 南西方向に延びていた。 市教委は、近隣地に王墓がある可能性が高いと想定する。

王墓はすぐそばに?

 今回の現場は、 方格規矩鏡など銅鏡3枚が見つかった場所の西隣に当たる。

 調査面積は約1700u。 まだ調査は始まったばかりだが、 柳園古器略考の記述を裏付けるような壺形の甕棺片や、 拓本にある方格規矩鏡と割れ口が合うような銅鏡片、巴形銅器などが見つかれば、 そこが井原鑓溝王墓である可能性は一気に高まる。

 前原市教委は 「近世の水路を中心に、 周溝の存在や流れ出した朱、 壺を埋めた穴の跡などについて慎重に調査を進め、 王墓の有無を確かめたい」 と話している。

青柳種信著
   「柳園古器略考」


  「天明年中怡土郡井原村に次市といふ農民あり。 同村の内鑓溝―三雲村との接界―といふ溝の中にて(中略)溝岸を突ける時岸のうちより朱流れ出たり。あやしみ堀て見れば一ツの壺あり。其内に古鏡数十あり…」。 青柳種信は、 1822(文政5)年に三雲村で三雲南小路遺跡が発見された際、 約40年前に隣村で見つかった井原鑓溝遺跡についても聞き取り調査を行って、農民が保管していた鏡片などの拓本を残した。 (2006年11月23日号)


■伊都国の重要性とは 福岡Uブロック講演会
 第10回福岡Uブロック講演会が14日、 前原市の伊都文化会館であり、 伊都国歴史博物館の西谷正館長が 「伊都国ロマン」 をテーマに講演。 考古学ファンら約120人が訪れ、 熱心に耳を傾けた。

 第14回 「ふくおか県民文化祭2006」 の地域別事業の一環として、 10月8日の芸能祭とセットで行われた講演会で、 前原市と筑紫地区4市1町の文化協会などが加入する 「福岡Uブロック協議会」 芸術の祭典実行委と同市教委が主催。

 西谷館長は、 3世紀中ごろの中国の史書 「魏志倭人伝」 について 「中国・魏の国家事業として編さんされた歴史書の中で日本の歴史について書かれているのは大変なこと」 と前置きしながら、 「同志社大学の森浩一教授がおっしゃるように、 2000字弱のうち112字もさいて伊都国のことを書いていることからも、 魏が伊都国をいかに重要視していたかがうかがえる」 と説明。

 伊都国の領域や国都、 王墓、 現在の志摩町にあったといわれる斯馬(しま)国、 一大率などにも触れ、 「ある日突然、 伊都国が発生したわけではない。 何万年も前の旧石器時代から縄文時代を経て、 長い歴史の上に伊都国が誕生し、 やがて大和王朝になり大宰府の時代になっても、 この地域は中央政権から重要な場所として認識されていた。 そのためにおのおのの営みがあってここは遺跡や出土品の宝庫であり、 それらを展示しているのが伊都国歴史博物館です」 と語った。


■私の夢 三雲出土品の里帰りと鑓溝王墓の発見を願う
                  ●国宝指定の意義●

 昨年は、 前原市にとって大きな節目の年となりました。 それはいうまでもなく、 昨年6月9日付の官報告示で、 「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称のもと、 それらが国の重要文化財から国宝への格上げが正式に決まったことです。 つまり、 大鏡5面分を含む銅鏡40面だけでなく、 玉類一括・素環頭大刀1口や、附土器残欠・ガラス小玉・鉄鏃(ぞく)等一括がまとめて国宝に指定されたわけです。 文化庁によると、 平原王墓から出土した副葬品のうち、 「銅鏡は40面という、一遺構からの発見では他を凌駕(りょうが)した数量であり、 その中には同型鏡が存在するとともに、 面径46.5cmというわが国最大の内行花文鏡を5面含むなど、注目に値する内容を持っている。 隔絶した大きさと数量をもつ平原方形周溝墓の鏡群は、 わが国の出土鏡の中で最も重視すべき鏡群の一つである。 弥生時代から古墳時代への変化を考える上で欠くことのできない重要な資料であり、その学術的価値は極めて高い」 としています。 まさに、 国宝の指定基準である 「重要文化財のうち学術的価値が極めて高く、 かつ、 代表的なもの」に準拠する措置であったといえましょう。 文化庁は、 そのような重要性に鑑みて、 10有余年の歳月と莫大な経費を投入して修理を行い、 永久的な保存に万全を期そうとしたところに、このたびの国宝昇格の大きな意義を見い出したいと思います。
 それにつけても、 第1発見者の井手信英さんご一家、 発掘調査を担当された原田大六先生、 そして、 銅鏡の研究を大きく深められた柳田康雄博士のお三方のご功績に改めて敬意と感謝の意を表したいと思います。

                 ●伊都国ルネサンスを●

 一方、 地元の前原市教育委員会では、 それに先立って、 去る2004(平成16)年10月28日には、 伊都国歴史博物館をリニューアルオープンして、平原王墓出土品の収蔵と公開展示を行い、 活用を図ってきました。 さらに、 昨年3月18日には、 国指定史跡 「曽根遺跡群」 のうち、 平原遺跡の1号墓に当たる方形周溝墓を整備して、平原歴史公園を竣(しゅん)工させ、 博物館との一体的な活用を目指しています。
 他方、 前原市では、 今回の国宝指定を契機に、 「国宝の里」 づくりが企画され、 そのキャッチフレーズが公募によって決まったことはご承知のとおりです。改めてご紹介しますと、 「のぞいてごらん 伊都国ロマン 日本一の大鏡の里まえばる」 です。 そして、 松本嶺男市長の肝入りで、 「トライアングル構想」が展開しようとしていることもご承知のことと思います。 つまり、 お互いに車で1時間の距離で結ばれる三角形の各頂点に位置する、 伊都国歴史博物館・九州国立博物館・国営吉野ケ里歴史公園の三者が連携して利・活用を図っていこうとする構想です。そこへ私は、 「伊都国ルネサンス」 運動を提唱しています。 すなわち、 2000年から1800年前に栄えた伊都国の歴史や文化を、 博物館や遺跡を通じて掘り起こすことによって、糸島地方の文化の振興や、 未来をになう子供たちの人づくりに活かしたいと思うのです。

                      ●私の夢●

 ところで、 平原王墓は、 これまでに分かっている限り、 伊都国にとって最後の王墓で、 弥生時代後期後半の築造です。 その前の王墓といえば、 後期初めの井原鑓溝(やりみぞ)王墓と、 中期後半の三雲南小路王墓がよく知られています。 このことは 『魏志』 倭人伝の 「代々王がいた」 という文献記録を考古学的に裏付けるものとして重要です。 そのうち、 三雲南小路王墓については、 福岡県・前原市両教育委員会の発掘調査によって、 その全容がほぼ解明されています。 ただ、 最も遺憾なことは、 江戸時代に出土した銅鏡と有柄式銅剣が、 博多・聖福寺の所蔵となっていて、 容易には目に触れることができないことです。 それらが伊都国歴史博物館に寄託されて、 すでに展示中のほかの出土品とともに一括して公開される日が来ることを初夢に見たい気持ちでいっぱいです。
 また、 井原鑓溝王墓については、 三雲南小路王墓発見30数年後に当たる江戸時代の天明年間(1781―88)に発見されたことも周知のとおりです。 前原市教委による永年の調査で、有力者層の墓域は知られるようになりましたが、 文政5年発見当時の遺構はいまだに特定されていません。 現在、 井原ヤリミゾ付近の墓域の調査が進行中ですが、後世の耕作に伴う撹乱(かくらん)がひどく、 王墓を特定することは容易なことではありません。 新年のもう一つの初夢として、 井原鑓溝王墓が特定されることを祈らずにはおられません。
 それはともかくとしても、 新年が明けた2007(平成19)年が、 伊都国の国都の遺跡としての三雲・井原遺跡や、 同じく王墓の遺跡としての三雲南小路・井原鑓溝両王墓の国史跡指定へ向けた飛躍の年になるよう期待しています。

                   伊都国歴史博物館 館長 西谷正 2007.1.1


■冬季ミニ企画展 「井原鑓溝王墓を求めて」
 冬季ミニ企画展 「井原鑓溝(やりみぞ)王墓を求めて」 が1月30日から、 前原市井原の伊都国歴史博物館で始まった。 前原市教育委員会による過去の調査成果を一堂に展示し幻の王墓の謎について解説する。 25日まで。

 3世紀中ごろの中国の歴史書 「魏志倭人伝」 に 「世王有(代々王がいる)」 とある弥生時代のクニ 「伊都国」 からは、 記述を裏付けるように三雲南小路、 井原鑓溝、 平原王墓の三基の王墓が見つかっている。

 井原鑓溝王墓は、 江戸時代の天明年間(1781―88)、 井原村(現在の前原市井原)の 「鑓溝(三雲村との境)というところの溝」 に壺(つぼ)形の甕(かめ)棺があり、 中から銅鏡21枚などが見つかったと、 国学者青柳種信が著書 「柳園古器略考」 の中で伝え、 銅鏡の拓本を残している。

 しかし、 現在では出土品が散逸、 遺跡の正確な位置さえ分からなくなってしまっており、 「幻の王墓」 と呼ばれている。

 1994年から、 伊都国の王都があったと推定されている 「三雲・井原遺跡」 の発掘を続けている市教委は、 井原鑓溝王墓の確認を調査の柱の1つに挙げている。 2004年度には王墓に時期が近い弥生時代後期(1―2世紀)の墓域を検出。 木棺墓3基から方格規矩(きく)鏡と内行花文鏡2枚の計3枚が出土した。

 企画展では、 井原鑓溝王墓についての唯一の資料である 「柳園古器略考」 を著した青柳種信と伊都国研究の草分け的存在である中山平次郎氏、 著書 「実在した神話」 の中で井原鑓溝王墓について解説した原田大六氏について紹介。

 井原境、 井原上学、 三雲上覚遺跡など五カ所から出土した遺物を展示し、 井原ヤリミゾ遺跡で出土した方格規矩四神鏡(直径18.6cm)と2枚の内行花文鏡、 ガラス小玉などが特に目を引く。

 井原鑓溝王墓の位置を探るキーワードとなる「溝(水路)」 に焦点を当て、 さかのぼり得る最古の資料である1915(大正4)年の地籍図に載っている水路と現在の航空写真、 過去の発掘調査地点を重ね合わせ、 「幻の王墓」 の謎に迫る。

 同博物館は 「井原鑓溝王墓の重要性を知ってほしい」 としている。 入館料は一般210円、 小中高生100円(65歳以上と市内の小中学生は無料)。 開館時間は9時から5時まで。 月曜休館(月曜が休日の場合は、 翌日休館)。

 問い合わせは、 伊都国歴史博物館(322)7083。         07年2月8日号


 


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