CONTENTS

 


 
■伊都国の有力集落 今宿五郎江遺跡から木製品出土
 福岡市西区今宿町の今宿五郎江遺跡で、 弥生時代後期後半から終末(紀元2世紀初め〜3世紀)の木製品や青銅器、 土器などが大量に出土。 中から線刻文様のある木製の短甲(たんこう=よろい)や漆製品などが見つかった。 福岡市教育委員会は 「木工技術の進歩を見ることができる」 貴重な資料としている。

 伊都土地区画整理事業に伴う発掘調査で、 調査面積は合計約8300u。 検出長100m、 幅3m、 深さ2mの集落を区画すると思われる溝から、 土器や石器、 青銅器などとともに良好な保存状態の木製品が出土した。

 木製の短甲=写真(福岡市教委提供)は、 長さ27cm、 幅10cm、 厚さは2cm前後で、 胴部分と考えられる。断面が三角形の薬研彫りによる線刻が施され、ワラビの先端のような形の文様などが描かれている。 弥生時代の木製の短甲は、 福岡市の板付遺跡などにも類例がある。

 漆製品は、 残存長22・5cm、 幅約4cm、 厚さ6mmで、 全体に黒漆を塗り、 赤い漆の細い線で、 のこぎりの歯のような鋸歯文(きょしもん)などの文様を描いている。
 細長い筒形の容器の一部で、 直線が細く長く描かれていることから、 筆とろくろを使ったのではないかと見られ、 同市教委はアジア諸国からも類例を求め、 用途や製作技術などを解明する意向。

 同市教委は 「今宿五郎江遺跡が伊都国の中でどのような役割を果たし、 どのような活動をしていたのか、 さらに弥生時代の東アジアとの関連についても明らかにしていきたい」 としている。

 同市教委は、 24日午前10時から午後3時まで現地説明会を開き、 担当職員が同遺跡や出土遺物について説明。 国指定史跡の今宿大塚古墳も見学できる。 問い合わせは、 市教委女原調査事務所(807)8850。

 また、 出土遺物を展示する速報展示会が27日から3月4日まで、 福岡市博多区井相田の市埋蔵文化センターである。

                                      2007年2月22日号
■幻の王墓はさらに西? 井原ヤリミゾから銅鏡2枚
 前原市井原の井原ヤリミゾ遺跡(同地区2582番地)で、 弥生時代後期(紀元1―2世紀)の墓群から、 2枚分の内行花文鏡が見つかった。 しかし、井原鑓溝(やりみぞ)王墓の場所の特定には至らず、 前原市教育委員会は 「王墓はさらに西側の丘陵にある可能性が出てきた」 との見解を示した。

 福岡藩の国学者青柳種信が記した 「柳園古器略考」 は、 天明年間(1781―88)に、 筑前国怡土郡井原村(現在の前原市井原)の 「鑓溝」から銅鏡210枚などが見つかったと伝えている。 豪華な副葬品から弥生時代のクニ 「伊都国」 の王の墓と考えられているが、 今では出土品のすべてが散逸し、正確な位置さえ分からない幻の王墓となっている。

 現場は、 伊都国の都とされる三雲・井原遺跡群の中にあり、 同市三雲の三雲南小路王墓からは、 南に約170m離れている。

 調査面積は、 約1500u。 南から北に向かって緩やかに下る微高地上に弥生時代後期の墓群が築かれており、 甕(かめ)棺墓13基、 木棺墓4基、土壙墓2基のほか、 祭祀土坑などが検出した。

 調査区ほぼ中央の木棺墓(縦2・22m、 横0・63m)には、 南側の頭の位置に赤色顔料が確認でき、 「長宜子孫」 銘の内行花文鏡(推定直径15・7cm)1枚分の破片8点、直径3―5mmのガラス小玉と1mm前後のガラス粟(あわ)玉が900個以上見つかった。

 調査区北側の甕棺の近くからも内行花文鏡の周縁部分の破片2点が出土したほか、 甕棺2基、 木棺1基から計182個のガラス小玉と粟玉が見つかっている。粟玉のうち49個はとても珍しい紫色をしており、 同市教委で弥生時代の類例を探しているが見つかっていない。

 同市教委は 「北部九州において弥生時代後期の有力者集団の墓群が明らかになっている事例は少なく、 伊都国の繁栄を物語る貴重な資料」 と注目している。2月25日に行われた現地説明会には大勢の考古学ファンが詰め掛け、 資料を手に、 発掘担当者の説明を熱心に聞いていた。



伊都国歴史博物館・西谷正館長 

伊都国王を頂点とする王族の集団墓と考えられ、 墓域の西端が把握できた。 今後、 東側でも調査を行い、 墓域の範囲を確定して国指定史跡への足掛かりにしたい。また井原鑓溝王墓の特定には至らなかったが、 将来的にさらに西側の丘陵の調査が必要だろう

                                       2007年3月1日号
■今宿五郎江遺跡で現地説明会
 弥生時代後期後半から終末(紀元2世紀初め〜3世紀)の木製品や青銅器などが見つかった福岡市西区今宿町の今宿五郎江遺跡で2月24日、 現地説明会があった。

 今宿五郎江遺跡からは、 木製品や国内で作られた銅鏡、 小銅鐸のほか、 楽浪系と呼ばれる朝鮮半島の土器も見つかり、 伊都国の東の玄関口として、 対外交流の拠点集落であったと考えられる。

 新聞などで大きく報道された線刻文様のある木製の短甲(たんこう=よろい)や漆製品などの出土品を間近に見ることができるチャンスとあって、 当日はたくさんの人たちが訪れ、木製品が大量に出土した溝や現場のプレハブ内に展示された遺物を見学。

  赤い漆の細い線でのこぎりの歯のような文様を描いている漆製品の前では 「こんな細い線、 描けないよね」 「すごい」 「見に来て良かった」 と目を輝かせていた。



                                       2007年3月1日号
■4人追葬は全国初 石室もつ火葬墓が出土 多久遺跡群
 前原市教育委員会は26日、 前原インターチェンジ地区A産業団地(前原市多久、 富)の造成に伴う 「多久遺跡群」 の発掘調査で、 奈良時代(8世紀前半から中ごろ)の小石室を伴う火葬墓が出土した、 と発表した。 小石室からは骨つぼが4つ見つかり、 同市教委は 「4人が追葬された火葬墓は、 全国的にも例がない」 としている。

 火葬墓は、 前原インターチェンジから南西に約350m離れた丘陵(標高40mから約50m)の南側斜面で見つかった。 石を組み合わせた縦50cm、 横40cmの小石室をもち、 石でふたがされた中に、 直径12cmから19cmの骨つぼが4つ入っていた。

 奈良時代の8世紀前半から中ごろにかけて、 まず最も北側の須恵器の骨つぼが埋葬され、 次に南側の土師器(はじき)、 中央に位置する2つの須恵器の順に追葬されたと考えられる。 骨つぼにはすべてふたが付いていた。

 4つの骨つぼには細かく砕けた骨が残っていたが、 被葬者の性別や年齢などは不明。 市教委は、 土器の形から時期を判断し、 「少なくとも2世代にわたって埋葬が行われたのではないか」 と考えている。

 火葬は、 仏教の伝来とともに伝わったとされる。 700年に僧・道昭が国内で初めて火葬されたと 「続日本紀」 に記録が残っており、 8世紀の初めに天皇や貴族が取り入れてから、 次第に地方の役人や豪族、 僧侶などの間にも広まった。

 火葬墓は、 素掘りの穴に骨つぼを埋葬するのが一般的だが、 古墳に遺体を追葬する6世紀後半から7世紀の風習が、 火葬を導入する8世紀になっても残るのが北部九州の特徴で、 鳥栖市の東十郎古墳群などでみられる。

 今回見つかった火葬墓では、 「火葬」 という朝廷から伝わった新しい葬送儀礼を導入しながら、 古墳時代から続く石室への 「追葬」 という埋葬方法を守り継いでいる。 石室を築造し、 追葬していることから市教委は 「一族としての認識の強さがうかがえる。 古墳から火葬墓への変遷の様子を知る上で貴重な資料」 とし、 「近くの集落を治めた有力な豪族の墓ではないか」 と考えている。

 同遺跡から出土した遺物は、 同市井原の伊都国歴史博物館で4月28日から始まる速報展(7月1日まで)で展示する予定。
                                      
                                        2007年3月29日号
■西谷館長が退任 伊都国歴史博物館
 前原市井原の伊都国歴史博物館の館長・西谷正氏(68)が、 3月31日付で館長職を退任した。 本年度から同博物館の名誉館長となり、 講座 「魏志倭人伝の考古学―邪馬台国への道―」を月1回、 計12回開催する予定で、 西谷氏は 「今後も伊都国歴史博物館を支援していきたい」 と語っている。

 九州大学名誉教授の西谷氏は2004年、 リニューアルオープンした同博物館の初代館長に就任。 専門は考古学(特に東アジア考古学)で、 文科省文化審議会専門委員や韓国伝統文化学校招へい教授も務めた。06年からは日本考古学協会会長にも就任している。

 西谷氏の温和な人柄と分かりやすい解説、 広く深い知識で人気が高かった同博物館の館長講座は、 2年8カ月で計22回を数え、 大阪や山口、 北九州など遠方から駆け付ける熱心なファンもおり、定員を超える受講生が集まることもあった。

 福岡市東区香椎の自宅から博物館まで、 列車を乗り継ぎ約1時間半かけて通った。 西谷氏は、 車窓に前原市の田園風景が広がると 「ホッとした」といい、 文化財の宝庫である糸島に来るのが 「楽しみでした」 と笑顔を浮かべた。

 全国から博物館を訪れる人たちを目の当たりにし「伊都国の素晴らしさを再認識しました。 未発見の井原鑓溝(やりみぞ)王墓や伊都国の都とされる三雲・井原遺跡群の調査、 怡土城などの文化財と博物館の一体的な活用、 そして地元の人たち、 特に子どもたちに博物館をもっと利用してもらい、 伊都国の素晴らしさにふれてほしい」 と語った。

 後任には、 4月1日付で前原市の菊竹利嗣前教育長が就任した。

                                      
                                        2007年4月5日号
 


株 式 会 社 糸 島 新 聞 社 〜ITOSHIMA Newspaper Office〜
住所:福岡県前原市前原東一丁目8番17号
電話:092(322)2220 Mail:itoshin@blue.ocn.ne.jp
記事・写真・画像の無断使用を禁じます Copyright ITOSHIMA Newspaper Office All rights reserved.