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■井原ヤリミゾから 人骨残る内行花文鏡
 前原市教委文化課は4月25日、 三雲・井原遺跡ヤリミゾ地区で行っている発掘調査で、 弥生時代後期前半(1世紀中ごろ〜2世紀)の木棺墓からほほ完全な形の内行花文鏡(直径約15cm)が出土したことを発表した。 鏡には大たい骨の一部が付着しており、 埋葬の仕方が推測される貴重な発見という。

 調査は井原鑓溝王墓の所在を明らかにするために行われ、 現在までに木棺墓5基、 甕棺墓18基などが発掘された。 この木棺墓の一つから、 鏡の縁の一部が中央から、 残りは中央東寄りに鏡面を上にして発見された。 中央東寄りで見つかった鏡面に人骨、 鏡の背面には木棺の木が付着していた。

 木棺は長さ1・85m、 幅70cm、 棺の床にベンガラを敷き、 その上から朱をまいている。 鏡は 「長宜子孫」 銘の内行花文鏡。 中国製で、 最も古いタイプ。 出土状況から、 鏡を割った後に、 遺体の大腿(たい)部の下に置き、 鏡の一部を棺の上に置いたと考えられる。

 伊都国歴史博物館の西谷正名誉館長は 「伊都国の遺跡で初めて鏡に人骨と木棺の木質が残っていたことから、 副葬の過程が分かる貴重な発見」 と語る。


                                      2007年5月10日号

■伊都国初 環濠集落を確認 今宿五郎江・大塚遺跡
 福岡市教育委員会による同市西区今宿の大塚遺跡第11次調査で、 弥生時代中期後半から後期末(約2100年〜1800年前)の集落を区画する大溝が見つかった。 大溝は、 同遺跡に隣接する今宿五郎江遺跡で断続的に発見されている溝とつながり、 同市教委は1日、 「溝に囲まれた環濠集落が存在したことが明確になった」 と発表した。

 大塚遺跡第11次調査は、 伊都地区土地区画整理事業に伴う発掘調査で、 調査面積は約3000u。 大溝は、 調査区の北東で約30mにわたって検出、幅2・5m、 深さ1・2mで、 断面はV字または逆台形。

 同時期の土器が出土した大塚遺跡北側にある今宿五郎江遺跡第12次調査地点の大溝から続き、 南東の同遺跡第9次調査地点で発見された大溝に向かって延びていると考えられる。

 北側に不明確な点が残るが、 東西約200m、 南北約270m、 総面積約4・2haの大規模集落が、 だ円形の環濠で囲まれていたと推測できる。弥生時代後期には埋まり始め、 同時代終末には埋没して溝の機能を失った。

 今宿五郎江遺跡は、 3世紀中ごろの中国の史書 「魏志倭人伝」 に登場する弥生時代のクニ 「伊都国」 の東の玄関口で、 早良、 福岡平野に至る交通の要地に位置する対外交流の拠点集落であったと考えられる。

 伊都国では、 王都があったとされる三雲・井原遺跡の中の三雲八龍遺跡などでも弥生時代中期後半(約2000年前)以前に掘られた大溝を確認しているが、環濠集落の存在が明確になったのは、 今宿五郎江遺跡が初めて。

 今宿五郎江遺跡の調査では、 中国・新の貨幣 「貨泉」 や後漢鏡、 小銅鐸、 線刻文様のある木製の短甲や漆製品などが見つかっている。 今回の大塚遺跡の調査では、 環濠の東端から内行花文鏡の破片(長さ約五a)が出土。 破断面を研磨していることから、 権威の象徴として用いられた 「破鏡」 であった可能性が高い。

 朝鮮半島の楽浪郡一帯で製作された楽浪系土器も出土し、 大陸との交流を物語っている。 ほかに行事用に用いられたとみられる銅製鋤(すき)先(長さ6・7cm、 残存幅3・8cm)や銅鏃(残存長2・8cm、 最大幅0・75cm)、 被葬者の装飾具の一部と思われる銅鈴などが出土している。

 山陰、 瀬戸内、 近畿、 東海地方の土器なども見つかっていることから、 同市教委は、 大塚遺跡から今宿五郎江遺跡にまたがる弥生時代後期のこの環濠集落が、 国内外と広範に交易、 交流していたことを物語り、 倭の対外交渉の窓口としての役割を果たした伊都国を支えていた可能性が極めて強くなったとしている。

 4日は、 現地で遺跡説明会があり、 大勢の考古学ファンでにぎわった。10日から26日までは、 福岡市埋蔵文化センター(同市博多区井相田)で発掘遺跡速報展が行われ、主な出土遺物が展示公開される。 同センター092(571)2921。

                                      2007年8月9日号
王都の南限確定へ 三雲堺地区で大溝確認
 前原市教育委員会は14日、伊都国の王都として知られる前原市の三雲・井原遺跡(三雲堺地区)で「弥生時代中期後半(約2000年前)ごろの大溝を確認した」と発表した。

 見つかった3本の溝のうち最も南を通る3号溝は、同地区の東に位置する三雲八龍地区で検出した大溝につながる可能性が高く、市教委は「王都の集落範囲の南限がほぼ確定した」としている。

 3号溝は、幅2・85b、深さ0・8bで、断面は逆台形をしている。溝の幅、深さ、床面の標高レベルとも調査地点から東に約80b離れた三雲八龍地区の大溝とほぼ同じで、同地区の2本の大溝のうち、内側の大溝の延長である可能性が高い。


                                      2008年4月17日号

2基の石棺が出土 二丈町・西原2号墳
 二丈町長石の西原2号墳から、古墳時代前期(5世紀初頭)の築造と考えられる石棺が2基、見つかった。町教委は「西原2号墳は立地的にも一貴山平野を一望できる高台にあり、被葬者は周辺地域を治めた人だったのではないか」としている。

 また、西原2号墳は周辺地域で築造時期が最も古く、近くにある古墳時代後期(5世紀終わりから6世紀)に造られた二塚古墳へ続く「古墳の系列をたどることができるのでは」と話している。

                                     2008年12月25日号


 


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