創刊100周年記念連載 ㊦糸島の発展を

1207糸島新聞100年連載 下(仲原さんと校訓碑)1207糸島新聞100年連載 下(仲原さん野球部)「教育は地域の歴史そのもの」 元糸島高校校長・仲原英城さん
■「自主積極」精神を
糸島高が創立100周年を迎えた2002(平成14)年、校長を務めた仲原英城さん(74)=糸島市志摩東貝塚。計28年間、人生の3分の1を超える時間を同高と濃く関わってきた。
糸高生として青春時代を過ごし、血気盛んな27歳から13年間、同高の数学教員として教壇に立った。校長として再び糸高に着任、3年間務めて定年退職した。その後、同窓会会長にも9年間携わった。そう聞けば、「糸高愛」にあふれた言葉が出ても納得がいく。
校訓の「自主積極」は、私が糸高に入学する前の年の1957(昭和32)年に掲げられました。この校訓は私の中で一本の軸になっています。
校長時代、校長室に生徒を呼んでは「あなたはどうしてここに呼ばれたとね」と聞いた。目標がないと言う生徒には「目標は自分でつかむもの。自分で考えなさい」と。「自主積極」の精神を持ってもらいたい一心でした。教師陣との合言葉は「入るときより、出るときに伸びる生徒を育てよう」でしたね。
■80年代半ばから流出
糸高は順風満帆できたわけではない。
72(同47)年、県教育委員会は学区を拡大。それまで長垂山以西の旧糸島郡から普通科進学希望者は糸高だけ受験した。第7学区指定となった福岡市西部と糸島郡の中学生は、修猷館、城南、西福岡、糸高の4校を受験できるようになった。
さらに、糸島地域に新設校として80(同55)年に筑前高、83(同58)年に玄洋高が開校。同年にはJR筑肥線と福岡市営地下鉄の乗り入れ運転が始まり、地元の生徒が福岡市内の学校へ〝流出〟するケースも目立ちだした。
数学の実力考査は大学受験を意識した問題を作り、生徒たちに「60%取れたら九大合格だ」とハッパをかけました。72(同47)年の大学合格者数は国公立71人、私立251人でしたが77年(同52)年以降は次第に減っていきました。学区拡大で(学力、スポーツなどの)リーダーが糸島から抜けていくと感じたのは、80年代中盤からだったように思います。
■地域もきちんと
人格形成を図る教育の理想は、生徒たちに学力と人間関係力をつけさせることです。人間関係力を培わせる生徒会や部活動にも力を注いできました。
野球部の監督と部長を長年務めた。20代監督として、草ぼうぼうだったグラウンドの草取りを生徒と一緒にした。親の手伝いの稲刈りがあるから練習試合に行けないと1人の部員が言うので、その部員の田んぼへみんなで行き稲刈りを手伝ったことなども懐かしむ。
一時期、糸高が低迷していたころ、糸島地域の小中学校が荒れてました。今、糸高の授業出席率は99%、学校が楽しいという生徒が90%、4年制大学の合格者数は過去の記録を大幅に更新中です。糸島の高校がきちっとしていると、地域の子どもたちもきちんとする好循環が生まれる。教育は地域の歴史そのものです。糸高から地域を支え、発展させる人材が多く育ってほしいですね。


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