糸島新聞
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続・糸島伝説集26

2022.05.20

『鎌倉殿』の愛馬磨墨(するすみ)を生んだ能古島(下)

 子馬を見た牧主や牧夫たちは大いに喜んだが、彼らにはまた疑問が起こった。この牝馬を孕(はら)ませたのは、月を繰ってみても例の怪獣のほかには考えられない。

 牧主が博識の人に尋ねると、「それは海から来て牝馬と交わり、海に帰った者であり、馬に類する『タツノオトシゴ』とも、一名『海馬』とも言う怪獣に違いない。春の夜の陽気に誘われ陸に上がって来たのだろう」とのことであった。それを聞いた牧主は「なるほど」と苦笑し、子馬を引き取って行った。
 
 海の馬を父とし、陸の馬を母とした世にも珍しい混血の駒は、日を経るに従ってほかの子馬よりも大きく育って、毛並みも群を抜いて美しかった。

 その評判は箭叫(やさけ)びの音喧(おとやかま)しい源平時代のこととあって、次第に武士たちの間に名高くなってくると、皆争うようにしてこの馬を手に入れんとしたが、牧主は「またと得難いこの馬は、たとえ黄金の山を積んで来ても手放さない」と珍重がり、その毛色があたかも墨のように真っ黒であることから『磨墨(するすみ)』と名付け、わが子のようにかわいがった。

 このことがいつしか鎌倉に在って兵馬を練っていた頼朝公の耳に入り、ついに鎌倉に召し上げられることになった。今まで数多の希望を拒んできた牧主も、今回ばかりは時の巨人『鎌倉殿』でもあり、牧主は断ることなく、むしろ名馬を出した牧場の名誉と喜び、牧人たちと一緒に惜別の涙に浸りながら、華やかな都への門出を見送った。

 長い旅路の末、鎌倉に曳かれていった磨墨は直ちに頼朝公の上覧を給わり、「遖(あっぱれ)、逸物よ」との賛辞を受け、大いに面目を施してその場を引き下がり、厩(うまや)へと連れて行かれ、当時頼朝公の愛馬「池月(生唼、生月、生喰などとも)」の隣に繋がれる光栄に浴した。

 頼朝公は池月に劣らずこの磨墨を愛用していたが、このころ激しかった源氏と平氏の戦いは次第に源氏の勢いが強まり、終わりに近づいた。寿永三年(1184)になって源氏方に内訌(ないこう)が起こり、頼朝公は弟の義経と範頼の二人に同族の義仲を討つよう命じ、宇治に向かわせた。遠く近江から鎌倉に馳せ参じて頼朝公に謁(えっ)した佐々木高綱は、池月を希(こいねが)い、許しを得て義経軍に加わった。

 この話を聞いた梶原景季(かげすえ)は、頼朝が選んだ親臣の一人とあって、地方から馳せ参じたばかりの高綱が池月をもらい受けたことに心中穏やかではなかったが平静を装い、頼朝公に磨墨を希い出て、高綱とともに先頭を争いながら宇治川へと向かい、大いに武勲を挙げたという。

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