昭和の糸島 #399

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深江の旱魃試験場跡地は 昭和27年4月

 昭和9年(1934)に糸島を含む九州北部を襲った大干ばつを機に、農林省が深江村に設置していた国立旱魃(かんばつ)試験場は次第に役目を終え、戦後は県に移管されて現在は農業改良事務所の委託採種場となっている。

 しかし、あまり使用されていないことから、地元の深江村では敷地、建物を県から譲り受けて、住民の要望が多い福祉施設(保育所、母子寮、養老院など)として活用したいと、県に申し出ていた。

 県との協議は進められていたが、県は県下二カ所に営農試験地を設ける計画を立てていて、近く実地調査を行う予定であったため、村の要望は難しいものであった。

 結局、県では糸島地方に多い水稲の「秋落ち」防止の研究をするため農地一町歩を「水田経営改善集団試験地」とすることを決定した。

 同試験地の管理は地元農家に水稲栽培を委託、県と九大農学部などの専門分野の人によって、秋落ちの原因究明、施肥、客土などを研究していくことになった。写真は、深江の旱魃試験場。

深江の旱魃試験場跡地についての新聞記事
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