続・糸島伝説集48

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金の茶釜はどこに 長糸本区(下)

 それから時代はずっと過ぎた明治四十五年ごろのことである。どこからともなく村に、六部と呼ばれる行脚僧が訪れて、この祠で一夜の雨露を凌いで眠っていた。すると枕上に気高い地蔵尊の御姿が現れ、「朝日射す、夕日輝く木の元に、金の茶釜のあるを知らずや」と、金鈴を振るような美しい声で語られ、巽(たつみ∥南東)の方を指さし給うたところで目を覚ました。

 行脚僧は不思議でたまらず、夜明けを待って村に向かった。その途中、一人の百姓に出会ったので、地蔵様のお告げがあった不思議な昨夜の夢のことを話した。

 その百姓は暫(しば)し思案していたが「村の中に前髪様と呼ばれる古塚がある。この塚は高祖城落城のみぎり、まだ前髪姿の数人の若武者が憤死したと伝わる場所で、若武者が持っていた金銀財宝も遺体と一緒に埋められていると言われている。この塚こそ金の茶釜が埋められている所ではないか。一緒に掘りに行こう」と言い、夜が更けるのを待って行脚僧と出掛けた。

 けれども塚からは金の茶釜どころか財宝のような物もいっさい出てこない。「うーん、ここでなければあそこか」と、次の夜も、また次の夜も二人で出掛け、あちこちを探した。そんなことを数日繰り返しているうちに、村人に金の茶釜の噂が広がり、「有難い金の茶釜を二人に任せてはおけない」と、塚堀組合なるものを作って、村人総出で探し始めた。

 村人が作った塚堀組合は、二つの班に分かれて作業するように決め、どちらが先に掘り当てても利益は平等に分配すると決めていた。捕らぬ狸の皮算用ではないが、村人は見つかったときのことを頭に浮かべて連日、あちこちの塚を掘り続けた。

 何日作業しても、出てくる物は素焼きの壷や甕(かめ)、錆びた刀などばかり。しばらく経ったある日、村人が作業をやめて休憩しているところへ、村の有力者一人が、現場を見学に来て、塚の中に入って見ていると、突然周りの大きな石が崩れ落ち、下敷きになって一命を落とした。

 この事故があってから、村人は「これは塚に埋葬されていた人の祟(たた)りだ」と言って、その後の作業は中止されてしまった。

 結局、金の茶釜は出てこないまま、現在に至っており、地蔵尊のお告げが本当なら、長糸の本地区のどこかに眠ったままということになる。

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