【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》

まち角アイキャッチ

 裸体の老人や若者が体よりもはるかに大きなサメを担ぎ、力強い足取りで波打ち際を歩いていく。男たちは命懸けで捕らえた獲物に心を満たし全身に生命力をみなぎらせる。久留米市出身の洋画家、青木繁(1882~1911)の代表作「海の幸」。久留米市美術館で開かれていた坂本繁二郎との「二人展」を鑑賞しに訪れ、ようやく実物と向き合えた▼中学生のとき、美術の参考書に載っていたこの作品を見たとき、心の奥底で震えが走った。銛(もり)を手にした原始的で、たくましい姿。当時、言葉では表現し切れなかったが、豊饒(ほうじょう)の海から恵みを受けてきた日本人のルーツを感じ取ったのだと思う▼「海の幸」は、千葉県の布良(めら)海岸で描かれた。青木は東京美術学校卒業後、ある狙いを込め、この地を訪ねた。それが思わぬ形でかなった。旅に同行していた坂本から、大漁に沸く漁師たちの様子を宿で聞かされたときだった。青木は瞬時に着想を得て想像によって絵筆を振るったという▼青木は古代の日本にあこがれていた。写生画を描く日本の洋画界の大家を超えるには、日本人の原初を追究し、構想による絵を描かないといけないと考えた。美術学校時代、古事記や日本書紀を読みふけった。それが結実したのが神話の世界をほうふつとさせる「海の幸」だ▼そのわずか7年後、肺結核を患い、28歳で早世した青木。晩年は九州各地を放浪し、絶筆は唐津市の海を描いた「朝日」。ただ、日が昇る海原の向こうに見えるはずの糸島の地は描かれていない。布良と同様、多くの神話の舞台がある糸島と唐津。だが、もはや青木から想像力は消え去っていた。その最期が何とも痛ましい。

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