野北村・お松の悲運
権太は最初から因縁をつけて金をせびるのが目的であり、ああ言えばこう言うで、お松との話はかみ合わない。そのうち権太は本性を現した。
「お松、無理なことは言わねえ、十両出せ。十両貸してくれたら、俺も男だ、二度とこの寺の敷居は跨(また)がない。いやだと言うなら一年でも二年でも居候するぜ」
これが血を分けた兄が妹に言う言葉だろうか。お松は情けない気持ちでいっぱいだったが、泣くにも泣けず、鏡台の引き出しから一両二朱の持ち金を全部取り出して権太に「兄さん、少しは私の身にもなってください」と差し出した。
「お前の坊主はよほどケチとみえるなあ。後で泣き面かくなよ。覚えていやがれ」と、お松が差し出したお金を土間にたたきつけ、捨て台詞を吐いて外に出て行った。その後、どんなことが起こるか、お松も実念も知る由はなかった。
翌朝、実念が朝の勤行のために本堂に行ったが、すぐに真っ青な顔で戻ってきた。「お松、御本尊がなくなっているぞ」「えっ、何ですって」
お松は足が震え、その場に座り込んでしまった。素厳寺の御本尊は、高さ二尺で全身が黄金に輝く廬舎那(るしゃな)仏で、背には素厳寺の山号が彫られている京都でもめったに手に入らないといわれる立派な仏像だった。お松は「やっぱり兄が」と思った。
「そうかも知れぬが、このことは滅多に口外するでないぞ。心配するな、わしが草の根分けても権太を探し出し、御本尊を取り戻してくる」という実念の優しい言葉にお松は声を上げて泣き伏した。
その日から実念は博多の街に出掛け、古物屋や質屋を片っ端から訪ねて歩き回った。やがて半月、ひと月と過ぎていったが、権太も御本尊の姿も見当たらない。
地元では、素厳寺の御本尊が盗まれたという噂が広がっていった。中には「住職がお松を身請けするときに売り払ったらしい」などという心無い話も耳に入るようになり、檀徒からも実念夫婦を非難する声が浴びせられるようになった。
「兄さん、どこにいるのですか? 御本尊はどこにやったのですか。仏罰が恐ろしいとは思いませんか、妹が哀れと思いませんか。一日も早く御本尊を返してください」と、お松は本堂に籠っては祈り続けたのである。
それから二カ月。冷たい雨が身に染みる十一月のある日、御本尊は意外にも足元の周船寺村の古物屋で見つかった。檀徒の一人が偶然、その店を訪ねたときに見つけたもので、仏像の背面には素厳寺の山号も刻んである。
店主にこの仏像を持ち込んだ人物の風体を尋ねたところ「どうやら博多の博打打ちらしく、片目のつぶれた男でした」という。間違いなく権太である。権太はこの仏像を大枚三十両のお金に換え、姿をくらましているのだった。