続・糸島伝説集53

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野北村・お松の悲運 ⑤

 仏像が出て来て皆をホッとさせたが、犯人はお松の兄ということが分かると、檀徒の非難はお松の肩に火矢となって降り注いできた。
 「芸者あがりを坊守にしたのが間違いだった」「こうなったら坊守をこの寺から追い出すしかない」。美しく心優しいお松であったが、邪(よこしま)な兄を持ったばかりに、つかの間の幸せを奪われることになった。

 冷たい雨が降る晩秋の夕方、実念が檀徒の法事に出掛けている間に、お松は素厳寺の裏門から着の身着のままの姿で出ていった。

 お松は実家にも寄らず、ただ自分の不幸な運命に涙しながら、東へ東へと放心したように歩き続けた。夜が明けるころには、お松は正気を失っていた。ずぶ濡れで髪は乱れ、着物は泥だらけになりながら、お松は千歳屋の玄関にたどり着いた。

 店の者たちは、最初は誰かと思って店先に立つ女を見ていたが、そのうち女がお松であることに気づき「まあ、お松じゃないか。こんな姿でいったいどうしたんだい」と、女将が優しく声を掛けた。しかし、お松はゲラゲラと笑うばかりであった。尋常ではないお松の様子に、千歳屋はお松を預かり、介抱することにした。

 一方、素厳寺の住職実念は、お松が寺からいなくってから、あちこちと探し回っていたが、何の手掛かりも得られず、困り果てていた。そんなとき、千歳屋からお松がいるとの知らせを受け、すぐに駆け付け、お松に寺に戻るよう何度も諭すが、お松は気が触れたように笑うだけで一向に戻ろうとしない。実念は「お松にとって千歳屋が一番落ち着くのだろう」と、お松のことは諦めて千歳屋を後にして寺へ一人で帰ったのであった。

 それから数カ月が過ぎたころ、お松は可愛い女の子を産み落とした。女の子は実念の一粒種で、名前は千歳屋の女将が仲子と付け、しばらくたってから里子に出された。

 その後、お松は長く垂らした髪を手入れすることもなく、赤いリボンをつけて博多の街を雨の日も風の日も笑いながらさ迷い歩いたという。

 お松が還暦を迎えた明治四十年ごろ、お松はひどい熱病にかかり、何日も高熱で苦しむ日が続いた。人の噂では死んだとも言われていたが、幸いにも回復した。すると不思議なことに、長年気が狂ったようになっていたのがすっかり収まり、元のお松に戻っていたのだ。

 その日以来、今までの奇妙な言動は一切なくなって、以前のような美しくて優しいお松の姿を見て、介抱していた千歳屋の人たちは「信心深かったお松を、御仏様の法力によって助けてくれたのであろう」とありがたがった。

 それからのお松は、若い日に胸をときめかせた鶴太郎との初恋、真面目な青年僧実念との出会いと結婚など幸せだったころや、その後起こった不幸な出来事を頭に思い浮かべながら、晩年まで博多の街で過ごし、野北村に帰ることはなかったという。

 一説では、千歳屋の関係者がお松のことを思って、生まれ故郷である野北村にも近い筑紫富士が見える長垂峠の道沿いに埋葬し、小さな石を立てて供養したと伝わるが、その墓の場所は時代とともに忘れ去られ、今では分からなくなっているそうである。 (おわり)

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