昭和の糸島#413

目次

糸島地区の道路整備  昭和40年8月

 昭和30年代後半から糸島地区でも自動車が急激に普及し、福岡市内と佐賀県唐津を結ぶ国道202号はほぼ全線で舗装工事(一部区間は簡易舗装)が終わったものの、国道以外の県道や町道はまだ未舗装で、交通量が多い沿線の家々では、天気がいい日は砂ぼこりや砂利の飛来、雨の日は車が飛ばす泥水で困っていた。

 昭和40年度に糸島地区では、交通事故が多発していた国道202号の二丈町佐波の急カーブの改良工事をはじめ、周辺の県道などの舗装工事や拡幅など、すでに着工している分も含め、国や県の今後の計画を発表した。

 道路の舗装は前原―雷山線など12カ所。拡幅や新設では大野城二丈線(旧雑餉隈線)のすでに開通している起点の深江から川付までをさらに東側へ延伸させるなど10カ所。道路拡幅に伴う橋の架け替えでは、前原町の井原山橋のほか4カ所。

 道路以外では、芥屋の黒磯海岸の防潮堤、山間部での砂防工事なども行われている。写真は、北崎校区の小田から宮浦間の県道拡幅工事。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1917(大正6)年の創刊以来、郷土の皆様とともに歩み続ける地域に密着したニュースを発信しています。

目次