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玄界島に再び医師が 昭和34年1月
長年、医師や診療施設がなく困っていた離島の北崎村の玄界島に昭和33年7月、島民待望の福岡日赤病院の直営診療所ができた。
診療所は、国の無医村対策に伴う県下初の事業で、建物約26坪、診察室などのほか、レントゲン設備もある立派な施設で、建設費は国庫補助と地元負担金を合わせた約百二十万円。医師一人が常駐して島民の診察に当たった。
ところが開設半年後の昭和33年12月、常駐していた医師が高齢のために年末で辞めることになり、北崎村では玄界島に来てくれる後任の医師探しに奔走したが、なかなか見つからずに困った。
そんな中、事情を知った前原町川付の医師、兼松磐氏が「自分も高齢ではあるが、余生を島の人たちに捧げよう」と、玄界島へ家族とともに渡ることを決めた。それを知った村や島の人たちは感激、村長も「暗夜に光明を得た」と喜んだ。
兼松医師は早速、年明けの1月4日から玄界島に渡って診療所での診察を開始した。写真は、診療所ができる前に行われた島民の健康診断の様子。