【糸島市】昭和の糸島 #397

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部下の供養を続け22年 昭和41年9月

雷山千如寺で戦死した部下たちの回向を執り行う様子
雷山千如寺で戦死した部下たちの回向を執り行う

 前原町の桜井信一さんが8月28日、雷山千如寺で戦死した部下たちの回向を執り行った。

 桜井さんは糸島中学(現糸島高校)の教師をしていたが、日支事変(日中戦争)が激化したため召集され、中隊長として大陸各地を転戦、昭和13年9月2日の揚子江付近の激戦で部下77人を失い、自らも足に重傷を負った。

 終戦後の昭和20年9月2日、一人で痛む足を引きずりながら雷山千如寺まで行き、住職に頼んで戦死した部下77人の位牌を作ってもらって供養した。それ以来、毎年命日に雷山千如寺で回向を続けていて、今回で二十二回目となる。

 最初は一人で回向をしていたが、次第に人の知るところとなり、最近では桜井さんが主宰している興国吟詠会の会員有志も参加するようになってきた。

 戦争で大勢の人が亡くなるという悲惨さを目の当たりにした桜井さんにとって、部下たちの命日に静かな雷山千如寺で捧げる回向は、桜井さんの慰めにもなっているという。また、今年は重傷を負って郷里に戻っていた部下が亡くなったことが分かり、位牌の数は78になった。

雷山千如寺で戦死した部下たちの回向新聞記事
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