田んぼ水没、必死の復旧作業 ~歴史の教訓忘れずに~
気象庁は5月29日、九州北部が梅雨入りしたとみられると発表した。近年、地球温暖化などの影響で、全国各地で豪雨災害が頻発している。大雨や長雨などによる被害から身を守るためにも、避難方法や避難場所を確認するなど、日ごろから災害に備えておくことが大切だ。今からちょうど70年前の1953年6月にも、「昭和28年西日本水害」と呼ばれる未曽有の水害が九州北部を襲い、各地に深い爪痕を残した。糸島地域の中で最も被害が大きかった志摩郡桜井村(現糸島市志摩桜井)。17歳だった岩永玲子さん(88)に当時の様子を振り返ってもらった。
集落の東にある天ヶ岳の男天(250メートル)と女天(263メートル)で土砂崩れが起き、何軒もの家が押し流された。水田地帯を流れる桜井川の堤防が決壊、両脇に広がる田んぼに土砂が流れ込み辺り一面水没した。
「何よりもお米づくりが大事。大切な収入源だったから必死でした」。福岡市内に洋裁を習いに通っていた岩永さんの日常は一変、田んぼの復旧作業に追われた。「家がつぶれた、山が崩れた」と情報は入るものの様子を見に行く余裕はなく「素手で砂や小石をのけてから、苗を1株ずつ起こして、稲が流されたところには(県内各地から)届けられた救援苗を植え直した」と振り返る。「丈が30センチはあったから、自分の田んぼから育っている苗を引き抜いて持ってきてくれたんでしょうね」。バイクに苗を載せて糸島各地から応援に駆けつけてくれた人々の姿が目に焼き付いている。
村は二八水害の後も、再び大きな被害に遭った。神田美代子さん(85)は、6年後の59年の水害を鮮明に覚えている。「家の中に水が入ってきて、膝まで浸かった。また田んぼは海のようになり、道も田んぼも境目が分からなくなり、長い竹につかまって避難した」。
九州大学で防災を専門とする三谷泰浩教授は当時の災害の様子を「近年の九州北部豪雨の朝倉などの被害とよく似ている。小さい川でも急な大雨で増水すると危険。過去の教訓を忘れず災害への備えを」と話した。