地元「語り手」招き平和学習 雷山小
太平洋戦争末期の1945年6月19日、米軍のB29の爆撃で8人の犠牲者が出た雷山空襲から、今年で78年。糸島市の雷山小学校では19日、「火の雨」が降り注いだ戦争の惨禍を語り継いでいる地元の「語り手」から話を聞く平和学習があり、戦争を二度と起こしてはならないとの決意を胸に刻んだ。
5、6年生の語り手となったのは、香力の大原輯一(しゅういち)さん(78)と蔵持の榊勝さん(81)。
大原さんが空襲に遭ったのは、生後6カ月の時。空襲の記憶はなく、被災の話を人前でする自信が長い間なかったという。66歳の時、香力の子ども会の学習会で、家族4人を空襲で亡くした山下凡夫(つねお)さんの話を聞いた。「絶対あってはならないことが起こっていた」と強いショックを受けた。「怖かったし悲しくてたまらず、涙が出た」
以来、もっと話を聞きたい、多くの人に空襲のことを知ってもらいたいと、被災者から聞き取り調査を行ってきた。
被災者たちは空襲があった時どこに逃げたのか、空襲後の寝泊まりはどこでしていたのかなど、自作の地図を使って児童に説明をした=写真。
「とっさに、米とみそのかめを防空壕に担ぎ込んで逃げた人もいた。そのかめは普段なら到底持てない重さ。命をつなぐ大事な食べ物を必死で守ろうとしたんだと思います」。児童たちは真剣な面持ちで、被災のありさまを聞いていた。
大原さんは「家族の人に、今日自分が感じたことをぜひ話してほしい。雷山空襲についてみんなで考えてくれたらうれしい」と伝えた。
また榊さんは、現在空襲を直接記憶にとどめる語り部がほとんどいなくなってしまったこと、空襲遺跡が年々失われてしまっていることについて、児童たちに意見を求めた。
児童たちは「私たちの身近な所でひどい戦争があった。少しでも空襲遺跡を残して、次世代の人に伝えていかなければならないと思う」と口々に意見を発表。榊さんは「どうしたら空襲遺跡を残していけるか、6年生は卒業までにぜひ考えてほしい」と、戦争を風化させてはいけない思いを強く語りかけていた。