落ちのびた姫君と魚売り【野北の落石さま】
天正十四(一五八七)年四月、九州平定のために進軍してきた、豊臣秀吉の大軍勢を前に、怡土の高祖城最後の城主、原田信種は降伏し、城を明け渡すこととなりました。
信種には三男一女がありましたが、中でも十四歳になる一人娘の輝姫の身を案じ、「どう落ちぶれようとも天寿を全うさせたい」という親心から、輝姫の乳母の実家がある野北(現在の糸島市志摩野北)の浦へ逃がす決意をしました。
輝姫は「私も武士の娘、父上や弟たちと討ち死にできれば本望でございます」と健気に訴えましたが、信種は応じず、その夜のうちに出立するよう命じました。
これまで高祖の里を一歩も出たことのなかった輝姫でしたが、輝姫を「おちいさま」と呼び慕う乳母と、従者の男のたった三人連れで、野北の浦までの道なき道を夜通し走り抜けていきました。
久米から入り江を渡り、どうにか無事に野北へ落ち延びた輝姫は、浦の人々から暖かく迎えられましたが、やがて高祖城が落城し、原田家も離散してしまったことを知ると、「このまま人の情けにすがって生きていくわけにはいかない」と、浦の人々と共に働く決意をします。
錦の振袖を籾(もみ)袋に仕立て、昨日まで金銀の簪(かんざし)で飾っていた髪を一本の藁(わら)で束ねて、名も「テル」と改めて、魚売り娘となったのです。
魚篭(びく)を頭に載せ、「魚はいりませぬか」と可憐な声で触れ歩くテルの行商は評判となり、野北の娘たちにもテルに倣って行商をする者が増えました。
その後、テルは漁師の妻となり、幸福な一生を送りましたが、野北の浦の人々はテルを女行商の神様と崇(あが)め、「落石さま」(おちいさまの転訛(てんか))の祠(ほこら)を建てて、その霊を祀っているということです。(志摩歴史資料館)
◇ 企画展「いとしま伝説の時代-伝説の背景にあるもの-」は9月10日まで、糸島市・志摩歴史資料館で開催中。同資料館092(327)4422