いとしまのお地蔵さま
九州大学伊都キャンパスの西側にある県道は、その昔は「志摩野越え」という山道で、桜井から前原方面へ歩いて行く最短ルートでした。この道から分かれた細道の、人里離れた岩の上に、一体のお地蔵さまがポツンと立っておりましたが、どうしたいわれか、地元では「人好き地蔵さん」などと呼ばれ親しまれておりました。
さて、文久年間というから、今から百六十年以上も前の、ある秋の日のことです。この道の辺りは西に面していて日没が遅く、農家の者たちは腰の痛みを堪えつつも耕作に励んでおりましたが、いざ日暮れともなると急に暗くなってしまうので、女性などはまだ陽の高いうちに仕事をやめて家路につくのが常でした。
松隈に住むある若夫婦が、仲睦(むつ)まじく田起こしをしていた時のこと、夫の方は村の寄り合いがあるとかで、「お前も陽の高いうちに帰っておいで」と言い残し、先に帰っていきました。
働き者の妻は、それでもせっせと耕しておりましたが、間もなく夫が「用事を済ませた」と言って戻ってきました。若夫婦は、再び仲良く語り合いながら鍬(くわ)をふるっておりましたが、やがて妻の腰も痛んできて、もう帰ってもよさそうにと思いながらも夫を見ると、夫は相変わらず楽しそうに鍬をふるっています。
ふと気がつくと、辺りはもう暗くなっているのに、なぜか夫婦のいる田んぼだけは昼のままの明るさでした。何となく気味悪く感じた妻は、惜しむ夫を急き立てて家路につきましたが、不思議なことに暗い山道の中で前を行く夫の周りだけが明るかったのです。
やがて家に近づくと、夫の周りの光が急に消え失せて暗闇となり、妻はあまりのことに気を失ってしまいました。間もなく帰ってきた夫が、驚いて妻を抱き起こし、互いの話を合わせてみると、どうやらあのお地蔵さまの仕業らしいということになりました。
人好きなのに、あまりにも人里離れた所に立たされているので、たまには人と楽しく語り合ってみたかったのだろう…と、いうことでした。 (志摩歴史資料館)