【糸島市】伊藤野枝の生きざま語る

没後100年、福岡市総合図書館  大内さんら3人が講演

 女性解放運動家で、糸島郡今宿村(福岡市西区)出身の伊藤野枝の没後100年に合わせ、野枝についてさまざまな視点で語る講演会知る・伊藤野枝」が1日、福岡市早良区の同市総合図書館で開かれた。郷土史家の大内士郎さんら3人が故郷に伝わるエピソードを交えながら野枝の28歳の鮮烈な生涯に迫り、約100人が真剣に聴き入った。

伊藤野枝についてさまざまな角度から語られた「知る・伊藤野枝」


 同館のトピック展示「風よー書簡・作品からみた伊藤野枝」(15日まで開催)の関連イベント。講演は、大内さんと、糸島新聞社の下村佳史社長同図書館特別資料専門員の神谷優子さんが行った。


 大内さんは、野枝について、かつて地元では語り継ごうとされない雰囲気があったことを明かした。「父は野枝さんより九つ若く、知っているはずだけど、一回も野枝さんのことを口にしなかった。小学生の時、通学路のそばに(野枝たちの)墓石があったが、友達は拝んだり触ったりしてはいけないと言い聞かされていた」。ただ、十数年前、地元の中学校放送部が女性解放運動をテーマに野枝のドラマづくりをしたことを紹介。こうした動きが出る中「野枝について、今はかなりの人が知るようになった」と野枝に対する地元の受け止め方の変化を話した


 下村社長は、糸島新聞が野枝や、共に暮らし活動した無政府主義者の大杉栄をどう報じたのか、野枝らが憲兵に虐殺されるまでの紙面を振り返りながら解説。「農業を主産業とし古い家族制度が厳然として残っていた糸島の人々に、野枝たちがどのように映っていたのか、記事を通してうかがえる。野枝たちを徹底して非難した当時の時代性を読み取れる」と話した。


 神谷さんは「野枝が書きたかったもの」をテーマに語った。野枝が作品の中で「私の出遭った事柄だけは曲げることなく偽はることなく書いてゐる」と、周りに迷惑をかけることも、はっきりと書く姿勢を見せている点に着目。野枝は名誉や文壇的地位を得るためでなく「後に続く女性のため、自分をさらけだして作品化した」との見方を示した。


 講演の後、3人による座談会も行われた。この中で、大内さんは、地元の小学生に対し、フィールドワークで野枝や地元の歴史を教える後継者が育ってきていることを語った。

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