暮らし支え市民とともに
市民の足として、暮らしを支えるJR筑肥線。その前身である北九州鉄道が1923年12月、福吉-浜崎間(駅名は現在名を使用)で開業し100周年を迎える。この節目に合わせて、JR九州が8月から、国鉄時代のスカイブルーの列車を走らせ、車両見学などの記念イベントが開かれている。筑肥線の歴史を振り返るとともに、お祝いムードの様子を追った。
志摩歴史資料館で開催されている企画展「いとしま観光物語-鉄道が変えた旅の様相-」に展示されている「北九州鉄道沿線名所遊覧図絵」では、北九州鉄道が延伸を進めてきた様子が描き込まれている。
企画担当の学芸員稲冨聡さんによると、北九州鉄道は当初、博多-伊万里をつなぐ鉄道建設を計画。唐津駅から始めようとするも、川幅の広い松浦川に阻まれ、対岸に東唐津駅を検討。しかし、虹ノ松原で反対運動が起き、浜崎-福吉間からの着手となった。住民への説得が奏功、翌年には筑前前原駅から虹ノ松原駅まで延伸、25年には筑前前原-姪浜間と同時に東唐津-虹ノ松原間が整備され、ついに26年東唐津-博多が結ばれた。その後、徐々に伊万里へも延伸を続け35年、博多-伊万里間を全通させたが、わずか2年後に国有化、路線名称は現在の筑肥線となった。
当時は石炭や農産物などを貨物列車が運搬しており、戦後、筑前前原駅南側には農協の集荷場ができ、毎朝農産物を載せて列車の汽笛と共に博多に向けて出発していた。当時の様子を「汽笛の鳴るのが朝早くてね」と懐かしむ声も。
昭和40年代にトラック輸送が台頭してきたことから、貨物利用から客車利用へと役割を変えながら発展。83年の、福岡市地下鉄との相互乗り入れ実現に合わせ博多-姪浜間を廃止し、現在の姿となった。今では沿線住民の通勤、通学での利用、観光目的の交通機関としての役割を果たしている。
JR九州は、地元住民や鉄道ファンらで構成される筑肥線100周年記念事業実行委員会とともに19日、特別ヘッドマークをつけた臨時列車を運行、車両見学などができる「103系国鉄色で行く!筑肥線開業100周年ツアー」を開催した。車内には、子どもたちが描いた筑肥線の絵が並び、全国から鉄道ファンが特別ヘッドマークを付けたスカイブルーの車両の撮影に訪れた。
沿線の魅力を楽しむJR九州ウォーキングも同時開催。約250人が大入駅を下車、福吉校区内を巡り、同日福吉漁港で行われた福吉産業まつりにも立ち寄った。
同実行委員会委員長の佐藤剛史さんは「たくさんの人が沿線で、臨時列車に手を振ってくれた。来年はさらに路線を伸ばして100周年を迎えるので、その輪を広げ盛り上げていきたい」と話した。