玄洋高生、走り抜けた1週間
780余年と続く博多の夏の伝統行事「博多祇園山笠」。福岡市西区の玄洋高校3年生の高城孔貴(たかじょうこうき)さんと津城稀良(きら)さんの2人が、ひょんなご縁から伝統の祭りへ飛び込んだ。
1日に、豪華絢爛(けんらん)な飾り山笠(やま)が博多の街にお目見えしてから、15日間続く山笠。9日のお汐井とりから中洲流(ながれ)に参加した2人は、さまざまな職業や年齢の人々が一丸となってみこしを動かす醍醐味(だいごみ)を味わった。
締め込みに水法被、地下足袋と初めて尽くしの装束で、箱崎浜までの約3キロを駆けるお汐井とり。翌日からは実際に総重量約1トンの舁(か)き山笠を、30人以上の男たちと代わる代わる舁く一連の行事に参加した。任されたのは山笠の「見送り」と呼ばれる後側で、逆三角形に列を組んで後方から背中を押す「後押し」のポジション。山笠の推進力となる役目だ。社会人の参加が少なかった平日には、舁き山笠を舁き(担ぎ)、次々に交代しながら走る「舁き手」も経験した。「人の足を踏んでも踏まれても、もう一生懸命なので気を配れない」。連日、午後を中心に、「若手」として詰め所の掃除をしたり、机を並べたりと準備から関わり、帰宅後はそのまま倒れ込むように眠った。
祭りのクライマックスを飾る15日の「追い山笠」本番は、前日からの激しい雨。午前1時半には、七つの流(自治組織)がそれぞれの舁き山笠を、櫛田神社前の土居通りに並べた。各流の舁き手が続々と集合。同4時59分の一番山笠の櫛田入りを皮切りに、各流は「オイサ、オイサ」の掛け声と共に博多の街を疾走した。
「卒業し社会に出て行く前の若者にとって、いい社会勉強の場になる」。同高の大田浩平教諭が、お店で隣り合わせた中洲流の代表から勧められたのがきっかけだった。松尾勝之校長も「伝統ある神事。いい経験となる。ぜひ後輩の手本となってほしい」と快諾し、就職を控えた2人と大田教諭が参加することになった。
伴走した大田教諭は「周囲の理解のおかげで参加できた。中洲流の一員となって山笠について初めて知ることもあり、学び多かった」と充実した笑顔を見せた。
慣れない締め込みは途中で緩まないよう固く締められ、「きつくてびっくりした」。右も左も分からなかったが、若手指導係の役割の人が一つ一つ教えてくれ、「皆さんとても優しかった」と2人は口々に語った。
「腕と足に目いっぱい力を入れて全力で押して、みこしを動かしたのが楽しかった。いろんなジャンルの人と一致団結した経験に非日常を感じた」。全てが新鮮な体験となった1週間、降りしきる雨と沿道から飛ぶ勢(きお)い水をかぶりながら、梅雨明け間近の博多の街を山笠と共に走り抜けた。