のどかな水田が広がる先に、たおやかな稜線を描く脊振山地の峰々。その姿を眺めたとき、輪郭線を描かず絵の具の濃淡で表現する朦朧体(もうろうたい)の日本画を見ているような気持ちになったものだ。だが、よく空気が澄んだ朝、その山並みを目にしたとき、それが固定的な見方だったと、はっと気づかされた▼朝の光が脊振の霊峰、雷山など一帯の山ひだを際立たたせていた。そこに広がる光景は、いつもの目で見てきた、ほんのりとした色合いの山肌ではなかった。尾根と谷が入りくみ、広葉樹林や、スギ・ヒノキの人工林、竹林が浮き彫りとなり、パッチワークを施したかのようだった。ものごとは千変万化する。そのときどきの環境や受け止め方で、見え方ががらりと変わる▼よく知られたお経、般若心経(はんにゃしんぎょう)に「五蘊皆空(ごうんかいくう)」という言葉が出てくる。名取芳彦さん著「般若心経、心の『大そうじ』」によると、五蘊(色、受、想、行、識)とは、世の中のすべての物や現象のことで、これらはどれも「空(くう)」だという。空とは「条件によって刻一刻と変化する」こと。永遠不滅の実体はない。だが、人々は自分の思い込みで「これはこういうものだ」と固執してしまっているという▼固執とは、五感で得た情報が、その人独自の心のフィルターを通っていき、その人の見方になっていくことで生じるという。その固執により、本当に大切なものが見えなくなってはいないだろうか▼作家の故小林正観さんは著書「すべてを味方 すべてが味方」で、幸せというのは「今、自分が置かれている日常そのもの」と記す。何も起きないことこそが「幸せの本質」であり、幸せは努力して手に入れるものではない。「私が幸せと思うだけ。そう思った瞬間に幸せが100%手に入ります」。幸せは探し出すものだと、固執していませんか。実は今、幸せに包まれて生きているのですよ。
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