【糸島市】ドクター古藤の園芸塾Vol.84(8/9号掲載)

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お盆の文化

 いよいよお盆。何かとせわしい(忙しい)時期ですね。異常な高温に加え、人の往来も多くなる時期ですので、熱中症や車の事故などには十分注意してください。

 今回は、ちょっと昔の情報。昔(約50年前)のお盆と言えば、各地で盛んに盆踊りがあり、提灯(ちょうちん)をさげて先祖にお参りをしていました。遠方から親戚もたくさん集まり、たいへん大にぎわいでした。田んぼでは赤トンボが、体に体当たりするほど、飛び回り、日中は暑かったですが、夕方には適度に夕立が降り、爽やかな風と軒下の風鈴の音が、晩夏の近づきを教えてくれました。私が小さい頃は、畑で採れたスイカやアジウリ、真っ赤なトマト(当時は大玉しか記憶はなく、ミニトマトなどなかったような気がします)を大きい桝(ます)にいれ、かけ流しの冷たい井戸水で、冷やして食べていました。

 それはそれは、おいしかったこと。当時は、今ほど、夏の気温も高くなかったので、スイッチがガッチャン、ガッチャンと音がする扇風機の前で、スイカを家族そろってワイワイ話しながら食べていました。懐かしいですね。これも近代日本の歴史の一つと勝手に思っています。

 それと、小さい頃の私の記憶に残っている一つが、大人の人達がカリカリして黒く漬けあがった「奈良漬」と一緒に白っぽい飲み物をおいしそうに飲んでいた様子。1935(昭和10)年生まれの父に聞くと「そりゃ、粕取り焼酎たい」とのこと。

「盆焼酎」と共に、楽しまれていた奈良漬

 調べてみると、手植え時代の田植えは共同作業。農家にとって最も過酷な労働だった田植えが終わると、その労をねぎらうために、ごちそうと酒が振る舞われたそうです。そこで酌み交わされた酒が粕取り焼酎だったそうで、アルコールヌケのいい焼酎が疲れを癒やしていました。また、お盆に粕取り焼酎に砂糖や蜂蜜などを加え暑気払いに飲む「盆焼酎」の風習もあり、それほど粕取り焼酎はかつての民族文化と深い係わりがあったようです。自家製の奈良漬をおつまみに冷えた焼酎を飲みかわし、田植えや農業技術、地域のことなど話に尽きなかったでしょうね。

昔は暑気払いに飲まれていた粕取り焼酎(イメージ写真) 

 情報と言えば、現在はデジタル社会。用事の伝達はメール。情報を入手するのは、ラジオよりスマホ画像。私も東京出張などが多いのですが、ほとんどの方が、電車待ちや車内では下向いてのスマホ閲覧。道を歩いていても、手にはスマホ。私は、いろんな風景を見るのが好きなので、極力スマホをバッグにしまっています。

 昔は、男性も、女性も顔を向き合わせ、ちょっとした食べ物を味わいながら情報交換という時間を楽しんでいたのだと思います。私の幼少期から、お盆や食文化は大きく変わってきていますし、昭和初期生まれの父世代にとっては、もっと変化しいていると思います。

 文化の継承とかいうと、なんだかハードルが高いですが、自分の身の回りにある文化は、なんとか継承していきたいですね。 

 (シンジェンタジャパン・アグロエコシステムテクニカルマネジャー 古藤俊二)

※糸島新聞紙面で、最新の連載記事を掲載しています。

古藤 俊二さん
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この記事を書いた人

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