アーティスト 大川 博
1274年秋、元の大軍が博多湾岸に押し寄せた。軍船900隻、兵員は2万数千人。糸島半島の今津の浜辺にも上陸したとされる。この襲来のとき、集団戦法や火薬兵器「てつはう」を用いる元軍に苦戦した鎌倉幕府は再度の襲来に備え、1276年から翌年にかけて総延長20㌔にわたり元寇防塁を築いた。今津の浜の防塁は3㌔ほど。その一部が松原の中で整備され、公開されている。
ユーラシア大陸をまたぐように出現した世界帝国の卓越した軍事力。多くの国が「国破れて山河あり、城春にして草木深し」の境遇になった。そして、敗戦国である高麗と南宋の兵士は、日本侵略のため元軍の最前線の兵士として戦うこととなる。
今津の浜に腰をおろし、博多湾を眺めながら当時の事を思い起こす。鎌倉幕府の指揮のもと、元軍の蹂躙(じゅうりん)許すまじと、武士団が編成され、御家人たちは激しい戦いを繰り広げ、元軍は船に引き上げていった。
二度目の襲来となった弘安の役(1281年)。このとき、威力を発揮したのが防塁だった。防塁のない志賀島などが戦場となったが、元軍は御家人たちの攻撃を受け退却していった。
松原や つわものどもが 奉公の跡
今年は文永の役から750年。のどかな白砂青松の続く浜辺が、その長い時の流れを感じさせる。
(アーティスト・大川博)
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大阪で育ち、京都で学び、東京で働く。縁あって、糸島の風景を描く。アート(視覚)、オーディオ(聴覚)、アロマ(嗅覚)を融合化し、没入感をより深める作品を、毎年個展で発表。
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