昭和の時代、糸島の文化を力強くけん引していったレジェンドたちのそろい踏みを感じさせるような紙面を見つけ、思わず息をのんだ。1960(昭和35)年の糸島新聞新年号。1面には、生誕130年の企画展が伊都国歴史博物館で開かれている松永冠山の「雪の雷山連峰」と題された装画。2面は冠山とともに、糸島美術協会発足に尽力した彫刻家、原田新八郎が描いた天平の美女の版画と随筆、そして、在野の考古学者、原田大六が雷山神籠石(こうごいし)について考察した論考が肩を並べて掲載されている▼65年前の紙面をめくってみたきっかけは、福岡市総合図書館文学・映像課の神谷優子さんからいただいたメール。冠山の企画展を鑑賞したところ、糸島新聞社発行の歴史本「戦国糸島史」の表紙絵の下絵が展示されているという連絡だった。早速、博物館に出掛け、冠山の描いた下絵を見ていると、冠山と糸島新聞の関係を調べてみたくなった▼まずは、戦国糸島史が本として発行される前、糸島新聞で連載されていたころの紙面で手掛かりを探ってみた。そのとき、目に留まったのがレジェンドたちの勢ぞろいした新年号だった。ここで着目したい人物がもう一人いる。糸島新聞記者だった中野正巳。戦国糸島史の執筆者である▼今宿出身の女性解放運動家、伊藤野枝の没後40年に合わせて63年に「玄界灘の女 伊藤野枝の生涯」と題した50回にわたる連載も遺す。2年前、糸島新聞で「伊藤野枝と糸島」を連載した神谷さんは当時から、中野正巳に強い関心を抱き、調査を続けられている。冠山の企画展鑑賞もその一環だったのだろう▼「糸島のいろいろな歴史や地理や伝説を、出来るだけ大衆的に、小学生にでも判(わか)るように集めてみたい」。中野正巳はこうした決意を紙面につづり、戦国糸島史、玄界灘の女をはじめとした「糸島風土記」の名称でくくられる数々の連載を手掛けた。想像がつかないほどの並外れた健筆ぶり。そして、歌人でもあり、糸島短歌会の中心的な存在だった。中野正巳も糸島の文化をもり立てたレジェンドの一人だ。
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