映画「大魔神」に登場する武神像のモデルになった「挂甲(けいこう)の武人」をはじめ、バラエティーに富んだ埴輪(はにわ)が並ぶ九州国立博物館で開催中の特別展「はにわ」。古代の王の墓である古墳の頂上や周りに立て並べられていた往時の様子を想像しながら、素焼きの愛らしい埴輪を見て回った。その中に、まわしをしめた力士像があるのを目にしたときは相撲の起源を知らなかったため、正直驚いた▼福島県で出土したその埴輪は右手を伸ばし、左手は脇に当て、相撲の上段の構えをしているかのようだ。調べてみると、相撲の始まりは日本書紀に記されている。野見宿禰(のみのすくね)が垂仁(すいにん)天皇に召されて剛力無双の相手と対戦して勝ち、力士の始祖となったと伝える。しかも、この人物は垂仁天皇の皇后の葬に際して、殉死する人の代わりに埴輪を考案したとも▼こうした伝承を知ると、1500年前に力士の埴輪がつくられていたとしても不思議ではない。考古学者の若狭徹さんが芸術新潮の昨年10月号で、力士の埴輪についてこう解説する。「大地を踏みしめることで悪霊を鎮めるとともに、大地の生命を活性化させる相撲は、農耕神事と密接に関わるものでした。力士自身が王である可能性もあるでしょう」▼土製ではなく石でかたどった同じ古墳時代の力士像を同博物館の文化交流展示室で見つけた。ヤマト王権に対し反乱を起こした筑紫君磐井(つくしのきみいわい)が生前に築いたとみられる岩戸山古墳(八女市)で出土。埴輪を愛用するヤマト王権への対抗心から、石を材料にして埴輪と同じ役割のものをつくったとされる▼古代の力士についてさまざまに調べるうち、各地の神社で、子どもの無病息災を願って行われる「赤ちゃん土俵入り」の行事を思い出した。境内の土俵で力士が赤ちゃんを抱え上げ、四股を踏む。知己の神職によると、土俵を通し、土の神様から健康に過ごすための力を授かっているのだという。相撲は、古代の精神性を連綿と受け継いでいる。
(糸島新聞ホームページに地域密着情報満載)