【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》無駄を楽しんでみると…

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 春の日長、草取りのシーズンが巡ってきた。いつもなら、休日の大切な時間がどんどん費やされてしまい、恨めしく思うのだが、今年はその煩わしさがどこかに行き去った。書店でたまたま手にした本との出合いがそうさせてくれた。その本は「今日、誰のために生きる?2」▼アフリカのペンキ画に憧れ、タンザニアの小さな村で絵を学んだ日本人のショーゲンさんが村人たちと交流して「人の生き方の本質」を学びとっていく物語をつづった本の続編。作家のひすいこたろうさんら3人との共著だ。村に住む3歳の女の子が「流れ星をつかまえに行きたい」と父親に話し、2人が探しに出掛けたエピソードが印象的だ。結局、流れ星は見つからず、翌日も探しに行こうとする父親に、ショーゲンさんは親切心で、流れ星はつかまえられるものではないことを教えた▼ただ、父親は、無駄と思えるようなことにロマンや夢があり、それを楽しむという生き方をしていた。その父親の目には、ショーゲンさんはいつも無駄を省き効率よく生きようとしていると映っていた。そのことが伝えられると、ショーゲンさんは心のゆとりを見失っている自身の人生に気づかされた▼庭の草取りは、見方によっては、とても無駄と思える作業だ。抜いても、抜いても、しばらくたてば、また草は生えてくる。ただ、放っておけば、雑草は手が付けられなくなってしまう。庭木に栄養分が行き届かなくなり、害虫が繁殖する。庭を維持するためには、効率的とはいえない作業を続けるしかない▼禅宗では、修行道場での清掃や炊事、建物の手入れなどの労働を作務(さむ)と呼び、重要な修行と位置付ける。庭の草取りも作務。普段の生活の中で、自己の心を磨いているのである。草取りは、無駄な時間なのかもしれないが、心の持ちようによっては、自然との対話が生まれてくる。「庭をきれいに保つため、申し訳ないが、抜くよ。ただ、虫たちとも一緒に共生ができるよう、半分は残しておくね」。無駄を楽しんでみると、さまざまなものに対して優しくなれるような気がする。

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