【糸島市】《サリーがつなぐ 東京糸島びと》長沢節さんに学び成長㊤

イラストレーター 瀬知エリカさん(50)

 糸島生まれ、糸島育ちのサリーこと友納美千代が、糸島出身で、首都圏でご活躍の方々にこれまでの人生を振り返り、古里への思いをお聞きするコーナーです。今回はイラストレーターの瀬知エリカさん(50)=東京都墨田区=にお話をうかがいました。3回にわたって連載します。

セツ・モードセミナー時代、アート展にて自分の作品と長沢節先生

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 糸島市志摩の出身です。手がけているイラストは、時代小説の表紙や挿絵、新聞連載のカット、雑誌、絵本、テレビ、ウェブ、広告など多岐にわたります。どの仕事も「誰かに伝える」ということを軸に、心を込めて描いています。

 絵が好きになったのは、小さなころから美術が身近にあったからでしょう。父は中学校の美術教師で、美術館によく連れて行ってくれました。小学5年生のとき、ほうきを持った祖母の姿を版画にしたことがあります。ところが、途中で「別のテーマに描き直して」と言われて泣きながら抗議したことも。けれど、その作品は思いがけず郡展に入選し今でも強く記憶に残っています。

 生まれて初めての徹夜も、やっぱり絵でした。中学生のとき、夢中で描いていたら朝が来ていたのです。将来は美術の先生になりたいと思っていましたが、ちょうど美術の授業数が減り、教員の採用も難しい時代でした。そこで、美術の次に好きだった「生物」で大学を受験し、農学部系の学科へ進学しました。


 大学生活は楽しく充実していましたが、絵への情熱は消えませんでした。そんなとき出合ったのが「セツ・モードセミナー」。ファッションイラストの草分け、長沢節さんが校長を務める学校で、大学と並行して通うことにしました。おしゃれで芯があり、凛(りん)とした美学をもつ長沢先生は、当時の私にとってまさに神様のような存在でした。

 セツでは、センスとは何か、美とは何か、そして「描くことの楽しさ」をたくさん教わりました。しかし、楽しいだけでは仕事にならないという現実も痛感。卒業後はアルバイトをしながら夜間のセツに通い続け、迷いながらも絵と向き合う日々を過ごしていました。

 そんな中、ひょんなことから若手の落語会を手伝わせてもらうことに。参加費千円、お茶菓子付き、観客は30人ほど。高座や座席、受付やチラシまで、すべて手作りです。私はそこで、落語の解説やプログラムを絵付きで作ることにしました。コピーして、刺しゅう糸でとじた小さな冊子。誰に頼まれたわけでもないけれど、楽しくて夢中で作っていました。

 そのうち「目的を持って描くこと」の面白さに気づきます。私はどうやら、時代ものが得意らしい。祖父母と暮らしていた影響で、時代劇が身近だったのもあるかもしれません。歴史が特別好きというわけではなかったけれど、調べることは好きでした。今振り返ると「合っていたんだ」と思います。

 次回はお仕事のきっかけから語っていただきます。

糸島新聞社ホームページに地域情報満載)

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この記事を書いた人

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