【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》「幸運艦」がたどり着いた未来

まち角アイキャッチ

平穏な日常と、張り詰めた空気を漂わせる武力が混じり合う港を訪ねてみた。米海軍と海上自衛隊の基地がある長崎県佐世保市の佐世保港。8月から劇場公開されている映画「雪風 YUKIKAZE」を鑑賞したのがきっかけだった。雪風は、太平洋戦争で、数々の戦場で戦い抜き、沈没する僚艦からなげだされた仲間の命を救い続けた駆逐艦。旧日本海軍では「幸運艦」と呼ばれた▼雪風は、呉鎮守府(広島県呉市)に所属していたが、建造されたのは佐世保海軍工廠(こうしょう)。任務を果たし、必ず生き抜いて帰還するという切なる気持ちが伝わってくるヒューマンドラマを思い起こしながら、雪風とゆかりの深い港を巡った。その最初は、佐世保湾を南北に縦断する旅客船での短い船旅。通勤通学に使われる定期航路だが、基地の艦船を見渡すことができる▼巨大な飛行甲板を持ち、戦闘機や輸送機を搭載した米軍の強襲揚陸艦は、空母のような威圧感を放ち、岸壁には何隻もの自衛隊の護衛艦が接岸し、有事に備えての緊迫感が漂う。旅客船が湾中央付近に差し掛かったとき、デッキで写真撮影をしていたミリタリーファンの男性が声を掛けてきた。「あそこに原子力潜水艦が見えますよ」。指さす方には、浮上航行する黒い船体…▼生活航路で、まさかの光景。ゆっくりと入港する原潜を見つめながら、この地で57年前に起きた「エンプラ事件」の歴史が頭をよぎった。当時、幼かったため、記録でしか事件を知らないが、米軍原子力空母エンタープライズが寄港する際、反戦や反核を唱え、延べ約5万4人が抗議活動に参加。デモ隊が警察隊と激しく衝突した▼基地の街で平和を考える旅。第一次世界大戦の凱旋(がいせん)記念館として100年以上前に建てられ、いまは市民文化ホールとして使われている建物に立ち寄ってみた。2階に上がると、雪風の模型が展示されていた。1階のホールでは、子どものピアノのレッスンが行なわれ、スタインウェイのピアノから和やかな音色が流れてきた。「幸運艦」がたどりついた未来は、ここにあるのだと感じた。

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