深江駅家の機能継承の可能性も
上深江木ノ町遺跡の発掘調査
糸島市文化課は、同市二丈の上深江木ノ町遺跡の発掘調査で、古代の役人が着用した帯の留め具にあたる青銅製の鉸具(かこ)(バックル)や、貢納品の伝達文書である荷札木簡(もっかん)など、古代の役所「官衙(かんが)」に関係の深い重要遺物が多数出土したと発表した。同遺跡は、官衙「深江駅家(ふかえのうまや)」の有力な推定地とされる塚田南遺跡から東へ約2キロに位置。塚田南遺跡が奈良時代末期(8世紀末)にこつ然と姿を消した後、上深江木ノ町遺跡が所在する石崎地区で駅家の機能が引き継がれていた可能性があり、糸島の交通史の空白を解き明かす上で大きな注目を集めている。

駅家とは、古代の律令政府が整備した駅伝制のもと、30里(約16キロ)ごとに設置された公的施設。急使が駅馬を乗り継ぐためのほか、沿岸に渡来した外国使節の宿泊所としての役割も担った。深江駅家は「万葉集」にも名が記され、5頭の駅馬が配備されていたことが知られている。
調査は、国道202号線バイパス拡張工事に伴い、4月から実施された。平安時代初頭(8世紀末~9世紀前半)の遺物包含層から、普通の集落遺跡からは出土しない役所的性格の強い遺物が次々と見つかった。今回、調査地点からは官衙の存在を示す建物の遺構は見つからなかったが、谷の落ち際という地形の特性から、隣接する石崎曲り田遺跡から流れ込んだと思われる大量の遺物が出土。石崎曲り田遺跡では大型建物や工房の跡が見つかっており、両遺跡が一体となって公的機能を担っていた可能性が指摘されている。
出土品の中でも、市内初となる青銅製鉸具(残存長4.6センチ、幅3.5センチ)は、古代の律令制において公的な地位を持つ役人が着用した帯「銙帯(かたい)」の留め具であり、ほかにも、大宰府へ納入する物資に付けられた荷札木簡2点には、赤外線分析により墨痕を確認。「糯ヵ(うるちか)」「三斗…」といった文字が読み取れた。

「三斗」は当時の成人男性に課せられた税の量に相当することから、当該遺跡周辺が穀物を集積・管理する物流拠点としての機能を持っていた可能性も示唆。このほか、底面に「万」の文字が記された墨書土器、大宰府出土の遺物と類似する小型壺なども相次いで出土した。
同課の永島さくらさんは、出土遺物が塚田南遺跡の廃絶後の時期(9世紀前半)に属する土器と共伴していることに触れ、「今回の成果は、塚田南遺跡の後続する時期の姿を明らかにするもの。移転の理由については定かではないが、両遺跡の関連性や深江駅家の機能継承について、今後さらに深く調べたい」と話している。
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