大地を軽やかに駆ける馬の姿から飛躍のイメージを抱かせる午(うま)年を迎えた。「馬は人を踏まない」という性質から、蹄鉄(ていてつ)を交通安全のお守りにする風習がある。実は、自家用車内に蹄鉄を置いている。知り合いの大工さんが、実際に使われていた蹄鉄を入手して金色に塗装してから、蹄(ひづめ)に打ち付けるくぎを使って木製の台に固定した縁起物だ▼きれいに色づけされているが、摩耗した痕を見つめると、古来、人々の暮らしを力強く支えてきてくれた馬への感謝の気持ちが湧いてくる。車社会の到来や作業機械の導入によって、もはや身近に馬を見かけることはない。だからこそ、思い出深く残っている馬の姿がある。40年近く前、坂の街の長崎で暮らしていたときのこと。車が通れない細い坂道で荷運びをしている対州馬が印象的だった▼もともとは長崎県・対馬に生息する馬で、体高は130センチほどとやや小型。それでも、一度に200キロの荷物を運ぶ力がある。坂の上のほうで建築中の家の資材を運び上げていたが、馬は狭い小道での人とのすれ違いを嫌がらず、人懐っこそうでもあった。ただ、こうした坂道沿いに建てられる家が減り、道路の整備が進んだこともあり、対州馬が活躍する姿は坂の街から消えていったという▼対州馬は、古くから日本にいる在来馬。朝鮮半島を経て日本に伝わってきたとみられる。中国の歴史書の魏志倭人伝には、3世紀頃の日本に馬はいなかったと記されている。5世紀頃に馬具を副葬する古墳が増えている状況から、馬は古墳時代に飼育技術と一緒にもたらされたとの見方がある▼人よりもはるかに速く移動できる馬は、古代国家を形づくっていく上で、とても大きな推進力となった。馬を乗り継いで移動する交通手段が構築され、それを今に伝える遺跡が糸島にもある。二丈深江の塚田南遺跡だ。7世紀~8世紀後半の古代道路と、馬を常駐させた役所跡とみられる遺構が見つかっている。「深江駅家(うまや)」の名で万葉集にも記載がある。騎馬文化は、壮大な歴史とロマンに満ちあふれている。
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