ママライター魅力を紹介
筑紫富士、糸島富士と呼ばれる可也山。標高365メートルという低山でありながらも、独立峰としてそびえる山容は、古くから現在に至るまで糸島の象徴として多くの人に愛されている。遠くからその雄大な姿を眺める人、山を訪れる人、日々の暮らしに山が密接しているなど、可也山にはさまざまな結び付きを持つ人がいる。本特集では、ママトコラボ取材班が可也山に敬意を抱き、大切に思う人々を多角的に取材し、可也山が単なる風景ではなく、糸島の人の心のよりどころであり続ける姿を紹介する。
ありのままの美しさ伝え
画家 宮田ちひろさん

宮田ちひろさんが画家の道を歩み出したきっかけは可也山だった。以前は福祉の仕事に就いていた。しかし、忙しさに追われていた30代半ばの秋、ふと可也山に沈む夕日が目に映り、涙が止まらなかった。「可也山に大丈夫だよと言われた気がして。ずっと語りかけてくれていたのに受け止める余裕がなかったのです」。感情のまま筆をとり、「私は絵を描きたかったんだ」と気付いた。

糸島の風景を描く画家として10年。可也山は宮田さんの中で、糸島を感じさせてくれる「絶対そこにないといけない存在」になっていた。同時に、可也山を描く難しさも感じている。可也山の姿は、見る場所によって変化するからだ。「誰が見ても可也山だと伝わるように描きたい」と話す。

宮田さんが絵を描く理由は、特別なメッセージを届けたいからではない。「糸島には山があり川が流れ、田畑で作物を育てる農家さんがいて、私たちはその恵みをいただく。当たり前で忘れてしまいそうになる自然の豊かさ、ありのままの美しさを伝えたい」。糸島の風景を描くと、地元の人が喜んでくれる。「私の作品を通して、見る人が心の中にある大切な風景を思い起こしてくれたらうれしい。もっと気軽に絵を見てもらえる展示会をしたい」と微笑んだ。
(大畑あきこ)
万葉の里に植物園整備
糸島ば語る会会長 吉丸克彦さん(83)

「生きている限り調べたことを書き残し、1人でも多くの人に糸島市に関心を持ってもらいたい」。糸島市で生まれ育った吉丸克彦さん(83)は、1989年に「糸島ば語る会」を設立。約30人の仲間と糸島市の歴史や文化を学び合うとともに、独自の研究や実地調査も行ってきた。

「可也山にも面白い話がたくさんあります」と吉丸さん。例えば、可也山の呼び名は九つあるという。福岡方面から見た可也山は円すい形なので、富士山を連想し筑紫富士、糸島富士など「富士」が付く呼び名もできた。福岡市の藤崎も、可也山をのぞめることから地名に「ふじ」が付いたという説があるそうだ。

また、可也山は現存最古の歌集「万葉集」とも関わりがあるとのこと。可也山の麓にある引津の亭(とまり)で詠まれた歌が、万葉集に7首収録されている。そこで吉丸さんは会の仲間と、万葉集に登場する植物を集めた万葉の里植物園の整備を進めている。3年前、万葉植物を育てていた知人が病気になり、「歴史的な植物を残したい」と引き継いだことがきっかけだ。万葉の里公園(志摩船越)の入口横にある同園には、約30種の植物がそろう。現在は月1回手入れをしながら、植物と説明パネルを増やしている。園の看板も作り、2027年の完成を目指している。
(田平美波)
文殊菩薩に見守られ成長
空手に打ち込む中学生 富永悠大さん(14)

可也山北側の親山(おやま)地区にあるお堂に、文殊菩薩(ぼさつ)が祭られている。文殊菩薩は知恵授けの菩薩で、学業成就や合格祈願のご利益があるとされる。福岡市の百道中3年、富永悠大(ゆうと)さん(14)は小学4年のころから、空手の大会や塾の試験などの前に参拝を続けてきた。空手の稽古に通う正剛館志摩道場の師範、末松奈美さんに連れてきてもらったのがきっかけだ。「悠大の十二支守り本尊が文殊菩薩だったこともあり、手を合わせるようになりました」と母のるみ子さんは話す。

月に1回、母と祖母も一緒に文殊菩薩を参拝する。お堂の掃き掃除をして、お神酒を供え、参拝者ノートにメッセージを書く。般若心経と観音経を唱え、文殊菩薩の真言を7回唱える。「いつもありがとうございます」と必ずお礼を伝えてから、願い事をしている。

大会や試験の本番でも、心の中で文殊菩薩にお願いする。母の教えだ。「願ったら、可也山が頭に浮かんだことがあります。文殊菩薩は、自分にとって神様のような存在。勉強も空手もやる気が出てくる」と悠大さんは話す。
「目標は、志願する高校の空手部で稽古をがんばり、全国大会で優勝すること」という悠大さん。今春は、高校入試の合格祈願に参拝する予定だ。
(高倉美佳)
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)
