京都市と宇治市にある七つの社寺を巡る「都七福神まいり」をしてきた。新春に参拝すると、功徳が大きいとされ、昨年に引き続き巡拝した。今年は行程に少し余裕ができ、かねてより立ち寄ってみたかったところに足を運んでみた。京都・東山の六波羅蜜寺の文化財収蔵庫。お寺の境内に七福神の一柱、弁財天のお堂があり、開運をお祈りした後、数々の重要文化財の御像が安置されている収蔵庫に赴いた▼じっくりと拝したのが空也上人(くうやしょうにん)立像。高校生の時、歴史の教科書で見たこの像があまりにも印象的で、心に残っていた。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら市中を歩く平安時代中期の聖(ひじり)。粗衣をまとい、首から鉦(かね)をつるし、はだしにわらじ。頬がこけ、やせた体つきが生々しい。そして、誰の目もひきつけるのが少し上向きの顔で、開いた口から吐き出された6体の小さな阿弥陀仏像▼「南無阿弥陀仏」と唱える声がその6体に変じたのを表す。小欄で以前に触れたが、阿弥陀仏を信じ、ひたすら念仏を唱えると、極楽浄土に往(い)って生まれ変わると、法然上人が説き、浄土宗を興したのは平安時代末期。空也上人は、それより200年以上も早く阿弥陀仏信仰を広めていた▼朝廷への反乱が相次いで起き、災害が続発し、怨霊や地獄が恐れられていた時代。ただ、当時の仏教は国家鎮護や貴族の現世利益を重視し、特権階級のものだった。こうした中、現世に苦しむ人々の救いの道となる易しい教えを、空也上人が市井で勧化(かんげ)するようになった▼人々から「市の聖」と呼ばれた空也上人。平安京の市の門に卒塔婆を建てこんな歌を書きつけた。「一たびも南無阿弥陀仏という人の 蓮(はちす)のうえにのぼらぬはなし」。当時の市は公設で、牢獄が併設されていた。一度でも南無阿弥陀仏を唱えた人は極楽浄土の蓮台の上に生まれ変わることができるー。罪を犯した者は地獄に落とされると信じられ、それを恐れていた獄囚たちは「抜苦の因を得た」と、念仏の勧めに涙を流したという。空也上人立像は、市での上人の様子を写実的に伝えているかのようだ。
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