梅が見頃を迎えた。穏やかに晴れた日、可也山南麓の小富士梅林を訪ねた。ミツバチが花から花へと飛び回って蜜を吸う様子に春の訪れを感じた。梅林に向かう途中、立ち寄った神社がその観梅をより趣深いものにしてくれた。神社は菅原道真公を祀(まつ)る天満宮。梅林の坂道を登りながら、梅にまつわる平安時代の物語を思い浮かべた▼「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」。道真公のよく知られた歌。朝廷内で藤原家との政争に敗れ、大宰府に左遷されるとき、道真公は幼い頃から親しんできた自邸の梅に、この歌を詠んで別れを告げたという。そして、主を慕った梅は、大宰府に着いた道真公のもとに、一夜にして飛んできた。「飛梅伝説」はあまりにも有名だ▼春になって東風が吹いたら花の香りを寄こしてくれるよう、擬人化した梅に伝える悲しみに満ちた歌。この中に出てくる東風とは一体、どんな風なのだろうか。現代語訳では、東風はよく春風と訳されている。その由来は、中国の自然哲学「五行説」にある。五行説では、東の方角を春と結び付けていることから、東風は春風を意味するのだという▼ただ、梅の咲く季節、実際に東から吹く風を感じることがある。冬場は大陸にあるシベリア高気圧から冷たい北寄りの風が吹きつけるが、季節が移っていき、冬型の気圧配置が崩れて移動性の高気圧がやって来るようになると、通過する場所によっては日本列島に東寄りの温暖な風が吹く▼道真公が左遷されたときから時代は170年ほどさかのぼるが、大宰府の長官だった大伴旅人は自邸の庭で、梅花の宴を催した。そのとき詠まれた梅花の歌三十二首が万葉集に収められている。元号の令和は、その序文から名付けられた。「初春令月、気淑風和(初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ)」という文から2文字をとって令和は生まれた。宴を開いたのは新春のよき月、空気は清く風はやわらかと伝える。梅花の宴のときも、東風が吹いたのだろうか。梅の花を愛でながら、歴史のロマンが膨らんでいく。
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