【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》

まち角アイキャッチ

紙幣のデザインが約20年ぶりに刷新された。1万円札の新しい肖像は「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。新聞に載った新紙幣の写真を眺めながら、お金にまつわるさまざまな思い出を呼び戻してみた。ただ、深く記憶に刻まれているのは、お金を稼ぐ話ではなく、他人に財物を施すお布施にかかわるお釈迦さまのエピソード▼法話として語られることがあるので、ご存じの方もおられるだろうが、お釈迦さまが弟子を連れ、托鉢(たくはつ)に向かった時のこと。道が二股に分かれるところに出た。一方は裕福な人が暮らす村、もう一方は食べるのにも困る貧しい人が住む村へと続く。托鉢は鉢を持って人家の門前に立ち、食を請い求める修行。弟子は当然のごとく、裕福な村に向かおうとした。だが、お釈迦さまはこう説く。「托鉢は、貧しい人の家から回りなさい」▼それだと、貧しい人に負担をかけるし、施されるお布施も少ない。だが、貧しい人のもとを訪ねるというのだ。お釈迦さまは、貧しい人たちに慈悲の徳を積んでもらおうとした。お米一粒。それでいい。施すという実践は、人を思いやる気持ちを生み出す。自分の利益ばかりを考える悪循環を断ち切り、貧しさから抜け出していけるという▼中村元著「仏典のことば」を紐解くと、このエピソードと同じ教えを説いた初期仏教経典のことばが見つかった。「たとい貧しくとも、信仰心をもって与えるならば、他人を利するにより、その人は安楽となる」▼中村さんは、財について「自分ひとりが持っていたのでは死んでしまう」と記す。それを「布(し)き施す」ことにより、生かすことになるのだという。力のない人、財のない人でも、他人を助け、他人に尽くすことができる。お布施の多寡ではない。施すという精神こそが大切なのである。新紙幣に描かれた肖像。それを見る時、慈悲の徳に満ちた無数の人々の幸せな表情を重ね合わせたい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1917(大正6)年の創刊以来、郷土の皆様とともに歩み続ける地域に密着したニュースを発信しています。

目次