【糸島市】サンセットファイナル[上]

元運営スタッフ、現出演者
 丸山 太郎さん(44)

大事にしたいものが全て詰まっていた

 「こんなかっこいいライブがあるんだなぁ」。2000年、嘉麻市にある実家のケーブルテレビから流れるサンセットライブの様子を眺めていた丸山太朗さん(44)は、当時好きだったバンドの演奏が始まった画面にくぎ付けになった。その後、縁あって福岡市西区に移り住んだ。二見ケ浦を臨む場所に、音楽とお酒が楽しめるお気に入りの店ができ、ちょくちょく通うようになった。

現在は手作りの塩などを販売する新三郎商店の製塩所「工房とったん」の店長を務める丸山さん

 「そんなに気に入ったんならそのお店で働いたら」。当時付き合っていた妻の恵美子さんの一言で、04年にビーチカフェサンセットで働き始めた丸山さん。その店がサンセットライブの本拠地であることはつゆ知らずにだった。

 同店で働く人はほとんどがサーファー。丸山さんも見よう見まねでサーフィンを始め、その面白さにのめり込んだ。「当時はサーフィンがうまくなると昇給するといううわさだった」。06年には、運命の糸を引いてくれた恵美子さんとの結婚式も、同店で挙げた。

 サンセットライブの前後数日間は「普段は料理やカクテルを作っているメンバーが、会場設営や運営のスタッフに変わる」。芸術系の短大を出た丸山さんは看板作りをメインに担当した。系列のお店のスタッフや、地元はじめ全国から集まるボランティアと「何もかも手作りした」と振り返る。

12年に森の中のブースに出店した時の様子

 他の飲食店に移ると、今度はライブへ出店する側に。自然環境への配慮で、食器類は再利用し、生ごみは粉砕して土に還すなどの取り組みに協力した。「出店の焼きトウモロコシの芯が粉砕できず困らせたこともあった」と懐かしむ。

 仕事の傍(かたわ)ら、音楽好きが高じて打楽器を始め、知り合いとバンドを組んだ。現在は同ライブに出演経験もある「九州ロッカーズ」で活動。今年も出演予定だ。「運営側から出店を経験し、出演経験も味わったのは僕ぐらいなんじゃないかな」。ライブ会場は常連のボランティアや顔なじみが多く、「久しぶり」と声をかけ合い「実家に帰ったような、居心地がいい場所」だ。

 「顔の見えるコミュニティーで何から何まで自分たちの手で作る。それがこれだけ大勢の人を引きつけるイベントになる」。人生の半分を共に歩むサンセットライブ。「初期のサンセットライブの雰囲気に一番近い」夕凪ステージで、観客とともに思いっきり楽しむつもりだ。

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