年が明けてから、冬の京都の旅に出かけた。新春に巡拝すると、功徳が大きいとされる七福神めぐりをした。巡礼先は京都市と宇治市にある七つの社寺。全国各地にある七福神めぐりの中でも最古とされ「都七福神めぐり」と呼ばれている。その一つ、福禄寿(ふくろくじゅ)神をまつる赤山禅院に参ったとき、不思議な感覚になった。ほかの参拝者も同様だった。「柏手を打つんですか。それとも、合掌ですか」▼こう尋ねられたが、こちらも首をかしげるしかなかった。比叡山延暦寺の塔頭(たっちゅう)(別院)との簡単な説明文を読んでいたので、寺だと分かるのだが、境内に入って目にしたのが神社のたたずまいをした拝殿。神社で祈るように二拝二拍手一拝をした参拝者の後に続き、戸惑いながら寺の礼拝として合掌し頭を下げた▼参拝の後、調べてみると、この寺は本尊が神様で、神様と仏様が共存する日本古来の神仏習合のありようを色濃く残しているという。明治維新直後、新政府が神仏分離の宗教政策を行う前までは、神様も仏様も同じものと説かれていた。寺の境内に守護神としてお宮が造られ、神社には守護寺として寺が建てられていた。赤山禅院は往時をしのばせる▼日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰を融合・調和させてきた日本人。七福神は、こうした宗教観から生み出されていったのであろう。七福神の神々をみると、日本にルーツがあるのは恵比寿神のみ。大黒天と毘沙門(びしゃもん)天、弁財天はインド、布袋尊と寿老神、福禄寿神は中国から伝わってきた▼日本の神と結びつき、その神性が変った外来の神様もいる。大黒天は仏法守護の神で、チベットでは6本の腕を持ち、怒った形相で描かれるが、日本では古事記にみえる大国主命(おおくにぬしのみこと)と融合し、軍神から福の神となった。七福神がお宝をどっさりと積み込まれた宝船の描かれた色紙を、参拝した寺で授与していただいた。お宝の向こうでは七福神が仲良く鎮座されているのだろう。自宅に飾り、ありがたく色紙に向かって手を合わす。そのたびに、いまの世界がこの宝船のようであってほしいと祈っている。
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