姫島
福岡藩の勤王派に対する弾圧事件で幕末、姫島(糸島市)に流された女流歌人、野村望東尼(ぼうとうに)の獄舎が再現された。かつて獄舎があった場所のそばに、1981年に建てられた「御堂」を大幅に改修。望東尼が幽閉されながらも、島の人々と交流をしていた日々をしのばせるたたずまいにした。

獄舎への改修は、糸島志摩望東会(松月よし子会長)が5月17日、望東尼の顕彰活動をしている団体や、自治体の関係者などが同島に集ってサミットを開催するのを機に行うことにした。市内外の企業や個人に呼び掛けて協賛金を募り、改修と共に御堂に安置されていた望東尼の人形に着せる衣装の新調、敷地内にある銘板の修復を行なった。
獄舎の再現については、これまでの御堂は引き戸が設置されていたが、冬には寒風が吹き込んできて、60歳だった望東尼を苦しめた獄舎のありさまを訪れる人に感じ取ってもらおうと、本来の姿である木製の格子にした。
望東尼は着物を使って格子からの風を防いでいたとされ、獄舎の再現にあたっては、望東尼自筆の獄中図を参考にした。厳寒の獄舎の中だったとはいえ、書き物をする望東尼に島の人たちが、禁じられている灯火や埋(うず)み火(炭火)をひそかに届けていたことが書き残されている。サミット前の5月中旬には、新しい衣装をまとった人形が据えられる。
松月会長は「獄舎の日々がどのような状況だったのか知ってもらい、どのような心境で歌を詠んでいたのか、獄舎の再現によって、より深く分かってもらえると思う」と話していた。
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)