【糸島市】3件を市文化財に指定

可也山の近世石切場跡 深江の神幸祭 姫島の盆行事

 糸島市教育委員会は、市文化財として可也山の近世石切場跡(史跡)深江の神幸祭(無形民俗文化財)姫島の盆行事(同)の3件を3月31日、新たに指定した。いずれも地域の歴史や伝統を今に伝える貴重な文化遺産として評価された。

□可也山の近世石切場跡

可也山の近世石切場跡

 「糸島富士」の愛称で親しまれる可也山(標高365メートル)は、大部分が地下深部でマグマがゆっくりと冷え固まった花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)で形成されている。良質な花崗岩は、近世初期を中心として近代に至るまで、各地の寺社などの石造物の石材として利用されてきた。

 黒田家の公式歴史書「黒田家譜」や、黒田家や福岡藩の歴史を記録した「竹森家記」など複数の江戸時代の史料には、栃木県の日光東照宮、江戸城の紅葉山、福岡市の警固神社、糸島市の櫻井神社など、福岡藩が築造した有力社寺の石鳥居などに使用されたことが記されている。

 特に元和4(1618)年、福岡藩主・黒田長政による日光東照宮大鳥居(近世の石鳥居としては日本最大級)を築造した際は困難の末、巨大な石材を可也山から切り出した後、海路で江戸湾(現在の東京湾)まで運び、利根川などを上った後、陸路日光まで運搬し、当時の土木技術の高さを示す著名な事例として知られる。

 現在の可也山の山腹には、石を割る際についた矢穴(くさび痕)を残す石が数多く点在している。特に頂上の北側の親山地区と東側の師吉地区の2カ所に集中して分布。師吉地区には、近世初期に遡るくさび痕をもつ残石が多く見られる。

 師吉地区の標高250メートル付近の登山道脇には、幅約4メートル、高さ約3メートル、奥行き約3メートル以上を測る直方体状の巨石が残る。縁辺に残るくさび痕は幅約10センチ、深さ約10センチと大きいものがあり、考古学的な見地からも同地付近が近世初期に遡る石切場跡であったことが裏付けられるという。

 市文化財保護委員会では、「近世初期における福岡藩の石材調達の在り方などをよく示す重要な史跡と評価でき、土木・産業遺産としても価値の高いもの」と評価した。

□深江の神幸祭

フリを行いながら深江神社へ参集

 糸島市二丈深江で毎年10月第三日曜日に行われる深江神社の神幸祭は、豊作と大漁、家内安全と海上安全を祈願する「オクンチ」とも呼ばれる祭り。特徴は、神輿(みこし)行列の前方に近世の大名行列のような装束に身を包んだ若者が、挟箱や白熊(ハグマ、装飾用毛槍)などを持って「フリ」と呼ばれる独特の動作を繰り返しながら歩く点。

 神輿が神社に返った後は、若者たちが「フリコミ」と呼ばれる所作を各家庭の求めに応じて行う。家の繁盛を願う歌を歌いながら片足ずつで跳ねるように回り、白熊を家の玄関に突くような所作を行う。

 深江神社の創建は800年以上前に遡るとされ、神幸祭についても寛文2(1662)年の文書に記録が残っており、少なくとも400年近い歴史があるとみられる。同委員会は「近世から長く続けられてきた伝統行事で、旧怡土郡西部地域の地域性をよく示す年中行事として価値が高い」と評価した。

□姫島の盆行事

姫島の盆行事。初盆宅前での盆踊り

 糸島半島の北西約3キロの玄界灘に浮かぶ姫島の盆行事では、8月9日から同15日深夜までの間に「お施餓鬼(おせがき)」ともいわれる「仏さま迎え」「盆踊り」「かずら引き(盆綱)」「精霊流し」などの一連の行事が行われる。

 特に8月15日夜に行われる盆踊りでは、「盆踊りくどき集」を持った男性が「くどき」を行い、島内在住の中学生以下の女子が「踊りこ」となって踊る。「踊りこ」は自前の浴衣に草履という衣装で、母親などが作った独特な「前掛け」をかけるのが特徴。

 夜12時ごろになるとかずらをつけたロープを引っ張る綱引きが行われ、その後、「西方丸」と呼ばれる精霊船を漁船に乗せて運び「彼岸にござーれ」といって海に流す「精霊流し」で締めくくられる。

 市文化課は「玄界灘の離島地域の伝統文化をよく表した民俗行事として貴重」と評価した。

糸島新聞社ホームページに地域情報満載)

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