【糸島市】望東尼顕彰 姫島でサミット

ゆかりの地、一体的活動に思い熱く

糸島・福岡・防府の3団体や市長ら活発議論

 幕末の女流歌人で、勤王家の野村望東尼(ぼうとうに)の顕彰活動をしている関係者が集うサミットが17日、糸島市の姫島で開かれた。参加したのは、糸島志摩望東会(糸島市)福岡平尾望東会(福岡市)防府野村望東尼会(山口県防府市)の3団体と、それぞれの地の市長、副市長。3回目となる今回のサミットでは、志高く、慈愛に満ちた望東尼の生きざまを広めていくため、三つの地がより連携を強め、一体的に活動していく方向性が打ち出された。

野村望東尼の顕彰活動をしている関係者が集ったサミット

 望東尼と各地とのゆかりは、平尾については望東尼が隠棲(いんせい)した「平尾山荘」があり、幕末の動乱期、望東尼がここで志士たちを庇護(ひご)し、長州藩士で尊王攘夷派の高杉晋作もかくまった。姫島は、福岡藩の勤王派に対する弾圧事件で、望東尼が流罪にされた地。10カ月獄中にいた望東尼は、晋作の意を受けた志士たちによって獄舎から救出され、長州へと逃れた。望東尼は、結核を患った晋作を下関で看取り、その後、倒幕に向かう薩長連合軍の戦勝祈願のため、防府天満宮に詣で、防府で病没した。

 この日は、サミットの前に島内の獄舎跡地で慰霊祭が行われ、姫島小・志摩中姫島分校の児童生徒たちが「野村望東尼頌徳(しょうとく)の歌」を献歌した。サミットは学校体育館で開かれ、三つの団体の関係者や地元の人たちなど約200人が詰めかけた。

慰霊祭で献歌する姫島の児童生徒

 サミットでは、望東尼研究家の谷川佳枝子さんが望東尼の生涯を分かりやすく説明し、三つの会の代表がそれぞれの活動を報告。糸島志摩望東会はサミット開催に合わせて獄舎を再現、福岡平尾望東会は歴史文化講座などを開き、防府野村望東尼会は「望東尼物語」を出版し、地元の小中学生に配布した取り組みなどを紹介した。これからの顕彰の在り方についても意見が交わされた。月形祐二糸島市長は「望東尼さんが感じていた糸島の温かさ、人と人のつながりの大切さを次の時代に残していかないといけない」、中村英一福岡市副市長は平尾山荘について触れ「(もり立てていく活動などで市民の)ご尽力をいただいており、一緒になって平尾山荘がより愛されるよう努めていきたい」と述べた。池田豊防府市長は「生誕日などに三つの会が時間を合わせて拝むなど、心を一つにして後世に(望東尼の顕彰活動を)つなげていくのが大切」と語った。糸島志摩望東会の松月よし子会長は、市長らの思いを受け「三つの会で、より多くの人に望東尼の遺徳を知ってもらうための顕彰会をつくっていきたい」と話した。

 また、サミットでは、糸島漁協女性部姫島支部と「いとしまぎょろっけ部」が手作りした押し寿司(ずし)や姫島魚ロッケなどが昼食に出され、女優の大國千緒奈さんと引津小4年の渡邊はるさんによる望東尼と島の人との交流を描いた芝居も上演された。18日は引津コミュニティセンターで、サミットを記念した引津校区文化講演会「野村望東尼と姫島」があり、谷川さんが望東尼の姫島での詠歌を解説し、国の行く末を思い、島の人たちと心を通い合わせた望東尼の心情に迫り、130人ほどの人たちが聴き入った。

望東尼と島の人との交流を描いた芝居
谷川佳枝子さんの講演会

糸島新聞社ホームページに地域情報満載)

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