小春日和となった休日、福岡市の大濠公園を訪ねてみた。広大な池と、すがすがしい木立ち、そして園を囲む都会が調和した心地の良い空間。ジョギングや散歩をする人たちに混じり、園をひとまわりした。プラタナスの紅葉が青空に映え、池には越冬のために飛来したカモの群れ。ゆったり過ごすことができた▼福岡市の中心にあり、総面積は40ヘクタールと全国有数の水景公園。1929(昭和4)年に、街と自然の共生という願いが込められて開園した。それより以前はどんな景色だったのか。「泥沼で汚水が流れ込み、夏はカエルの住みか。ヤブ蚊が大発生し、福博電車も夜は電灯を消して走り抜けていた」。西日本新聞社文化部長を務めた江頭光さんの著書「ふくおか100年」にこんなエピソードが紹介されている▼江戸時代は福岡城の外濠だったが、100年前はアシが生える沼地。この地を公園にしようと思いついたのは東京帝国大学教授で公園設計第一人者の本多静六だった。新修福岡市史によると、県職員の案内で西公園の高台を訪ねた際、沼を見渡して公園化の進言を思い立った。本多静六は設計図を作成し、これが公園新設の嚆矢(こうし)となった▼県は新設に向けた計画づくりを進める一方、福岡市に対し、市が開催を予定している「東亜勧業博覧会」の会場として公園の敷地を提供するとの提案をした。市は無償貸与を条件に整備費用の一部を県に寄付。しゅんせつや周辺の埋め立て、中の島の造成と大工事が行われた▼県と市が軌を一にした公園づくり。それは時代を超えて今も行われている。2014年に県と市が策定したセントラルパーク構想だ。大濠公園と舞鶴公園の一体的な活用を図り、県民・市民の憩いの場とし、歴史、芸術文化、観光の発信拠点にするという目標を掲げる。4年後に公園南側での開館を目指して県立美術館の移転計画が進んでいる。園内の市美術館や能楽堂との相乗効果が期待される。「公園そのものが広大なミュージアム空間」。構想でうたわれた言葉通り、感動を与える公園へと進化が続く。
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