雷山空襲の記憶 風化させない

遺跡保存委員会立ち上げ

「罪のない命が奪われた戦争の悲惨さを後世に伝え、平和を守っていきたい」-。78年前の6月19日、米軍のB29による焼夷(しょうい)弾空襲で「火の雨」が降り注ぎ、8人が犠牲となった雷山空襲。当時の様子を直接記憶にとどめる語り部はほとんどいなくなり、空襲跡地も解体や経年劣化のため、消滅の危機にひんしている。こうした中、空襲の惨劇の跡を残す遺跡を保存し、平和の大切さを再認識しようと、「雷山空襲遺跡保存委員会」が発足した

スライドを使って雷山空襲遺跡保存員会発足の趣旨を説明する吉丸さん


 保存委員会立ち上げの中心となったのは、「雷山空襲を語り継ぐ会」のメンバー6人。きっかけは、建物全体に激しく焼損するなどした跡が生々しく残っていた料理店「福里屋」が、今年1月に解体されたことだった。戦争遺跡が失われていくことに危機感を覚えた語り継ぐ会は、保存委員会の設立に向けて、4月から話し合いを重ねてきた


 1回目の保存委員会は7月22日、雷山コミュニティセンターで開かれ、語り継ぐ会をはじめ、地元の行政区長など関係者約30人が出席した。


 語り継ぐ会の吉丸泰生会長(80)は「戦争遺跡は、当時の空気を追体験できる貴重なもの。ありとあらゆる歴史的なものを今のうちに保存しないと、次の世代へ郷土の歴史を伝えることができない」と委員会を発足させた思いを語った。その上で「記憶を風化させないために、今後も語り継いでいくことが、今を生きている私たちの務めだ」と、地域の歴史遺産を残し、雷山空襲を語れる人材を育成する重要性を強く訴えた。


 今後の目標について、①「福里屋」を解体した際に回収した、空襲の焦げ跡がある4本の柱などを今後保管していく場所の確保、②空襲遺跡フィールドワークのための看板の設置を目指す-を掲げた。


 保存委員会会長に就任した、香力行政区長の山下正二さん(69)は「義父である山下庫男(くらお)は、13歳の時に被災し、両親と弟、妹を亡くした。戦後の大変な暮らしの中、よく生きてこられたと思ってきた。空襲遺跡を後世に残すべく、会長として努めていきたい」と決意を述べた。

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