没後100年でフェス 座談会や講演、講談
女性解放運動家で糸島郡今宿村(福岡市西区)出身の伊藤野枝(1895-1923)の没後100年となった15、16日、「伊藤野枝100年フェスティバル」(伊藤野枝100年プロジェクト主催)が福岡市西区西都のさいとぴあで開かれた。講演会や講談、座談会、映画上映、野枝の墓石を訪ねるフィールドワークなど多彩にイベントが開かれ、全国から参加した延べ700人以上の人たちが自由を求める人生を貫いた野枝の鮮烈な28歳の生涯を振り返り、これからの社会がどうあるべきか見つめ直した。
無政府主義者、大杉栄と共に暮らして活動し、関東大震災の混乱の中、憲兵隊に拘引されて大杉とそのおい橘宗一と共に虐殺された野枝。「生きづらさ」を抱えながら生活している現代の人たちの中には、決して権力に屈せず、自分らしさを貫き通した野枝と大杉の生きざまを学び、明日につながる力につなげようとする人が増えている。
16日にあった「伊藤野枝を未来へ語り継ぐために」と題した座談会では、プロジェクトの伊藤信之さんと瀧口由夏さんを司会に、野枝の創作講談を行った神田紅さんと郷土史家大内士郎さんが登壇。大内さんは、野枝を直接知る地元の人がかつてテレビ番組の取材を受けた時、何も答えようとしなかったエピソードを話した。取材の後で「(野枝が)今宿の人間であると、日本のみんなが知ったら、どう責任を取るのか」と詰め寄られたと語り、現代になっても野枝に対し複雑な思いを抱かせられるときがあることを明かした。
神田さんは、女性解放という観点で「女性の意識は100年前とあまり変わっていないのが問題」と直言。「自分たちのことを個として考え、個を確立して自分を生かす生き方をしてほしい」と、座談会前に演じた創作講談に込めた思いを語った。
この日は、野枝の魅力を伝える創作や評論、書簡を収録した「伊藤野枝集」(岩波文庫)を編さんした森まゆみさんの講演会も開催。野枝が別れた夫の辻潤や、野枝に雑誌「青鞜(せいとう)」の編集を引き継いだ平塚らいてうなども取り上げながら多角的な視点で野枝の人生を語った。
初日には、野枝の叔父で、育ての親ともいえる代準介の自叙伝をもとに「伊藤野枝と代準介」(弦書房)を著した矢野寛治さんが講演。野枝は、家が貧しいため、子どものころに転々と親戚の家に預けられた経験をし、幼いうちから世の中にある差別や区別を知っていたと指摘。「今に見ていろ」という気持ちが根付き、自由を求める活動の原動力になったとの見方を示した。