糸島新聞
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続・糸島伝説集24

2022.04.29

相原の百人塚

 怡土郡の高祖城主原田隆種(了栄)と、豊後大友家の武力を後ろ盾に進駐し、志摩郡草場の柑子岳に城を構えた臼杵進士兵衛とは犬猿の仲で、常に一触即発の状態だった。

 元亀三年(1572)正月十六日、臼杵進士兵衛の許に高祖城主原田隆種が今津毘沙門へ参詣するという情報が入った。臼杵進士兵衛は「仇敵を討つ絶好の機会」と、高祖城から今津毘沙門に向かう途中の池田川原に多数の軍勢を連れ、隆種一行が来るのを待ち構えていた。

 隆種は「世は戦国時代、いつ変事が起こるやもしれぬ」と、常に心構えはしていたものの、臼杵の軍勢の奇襲で虚を衝かれ、隊伍は乱れて一時は窮地に追い詰められたが、荻原や大原、中島、笠ら原田家の家臣たちが必死に防戦し、隆種はかすり傷一つも負うことなく高祖城に戻った。

 この池田川原の合戦以来、原田と臼杵の対立は一層激化していった。同月二十八日未明、原田方は川原方面から延命寺ケ原(現在の糸島高校付近)に向かって進軍。一方の臼杵方は北郷ノ原(現在の北新地付近)から茶臼山(現在の笹山公園)に軍勢を進め、一帯では原田と臼杵の激しい戦いが繰り広げられた。

 臼杵方の馬場越後守は阿修羅王のごとく最前線で采配を揮(ふる)っていたが、相原(現在の糸島警察署付近)の間道を馬に乗って駆け抜けようとした際、馬が柿の大木の根に躓き落馬してしまった。そこへ原田方の中島治郎左衛門と十数名の部下が斬りこみ、激しく戦ったが多勢に無勢で、馬場越後守は遂に絶命した。

 この争いで、相原付近には原田方と臼杵方の武士たち多数の死体があったため、柑子岳城の重臣馬場越後守をはじめ、それらの武士たちは近くに塚を造って埋葬され、その塚は「百人塚」と呼ばれていた。

 馬場越後守の馬が柿の根に躓いたため越後守が落馬、命を落とすことになったため、昔は「柿の根を薪に使うと、越後守の祟りで必ず飼い馬が蹄の病気になる」と言われていた。また、百人塚も昔から「この塚の一木一草たりとも切ったりすると祟りがある」と恐れられた。

 糸島警察署ができるずっと以前、ここには糸島地方事務所庁舎があった。当時、その宿直室に幽霊が出るという騒ぎあり、百人塚や塚の上の祠を清掃すると幽霊は出なくなったという話もあるほか、塚にはえている大木の枝を切った人が高熱を出して寝込んだというような話もあったようだ。

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