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続・糸島伝説集29
2022.06.10
火伏地蔵と尾頭(おとう)の猫塚(下)
時が過ぎるうち、座長格の三毛が嬌声を張り上げて立ち上がり、くわえてきた手拭いで頬かむりして陽気な踊りを披露し、最後にパッとトンボ返りを打って消えたかと思った刹那、先年亡くなった小僧の清美の
幻影が虚空に浮かび上がったので、さすがの總圓も思わず「あッ」と叫んで尻もちをついた。
妖怪変化の神通力を總圓に見られた三毛猫はもちろん、集まっていた数百匹の猫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ失せた。辺りは月の光が草に降りた夜露に輝き、静寂に包まれているだけであった。以後、三毛が寺に戻ることなく、界隈の猫も一匹もいなくなったという。
その翌年の夏、北郷の原の農家の若者が件(くだん)の森へ秣(まぐさ)刈りに行った際、胴体がなく頭と尾だけの夥しい猫の死体を見つけた。若者は驚いて腰を抜かし、這這の体(ほうほうのてい)で家に戻って来たものの、以来、床に臥せって起き上がることができなくなった。
それを聞いた總圓は、森に行って猫の死体を集めて塚を築いてささやかな墓石を建てて、畜生成仏の供養をしたところ、若者は元気を取り戻した。それ以降、その辺一帯は尾頭(おとう)と呼ばれるようになった。
また、茶臼山の麓の主栄山寿福寺はその後、戦火に遭って本堂も庫裏も焼失したが、本尊の地蔵菩薩だけは紅蓮の炎に包まれたものの不思議と焦げ跡一つなく災厄を免れた。その地蔵菩薩は、善男善女の喜捨によって上町に新しく建てられた堂宇(火伏地蔵)にやがて遷されたという。
また大正の終わりごろ、前原のある名家で真夜中になると家鳴りがしたり、天井に物の怪が現れたりして家人を悩ませているという噂が出た。近くの農民が「猫の供養塚」辺りを開墾したのが祟ったのではないかというので、改めて供養したところ、ピタリと収まったということである。
現在、火伏地蔵の前には「火伏地蔵尊縁起」を書いた看板が立てられていて、それによると「文化七年(1810)、前原宿の中心部を焼き尽くす大火に見舞われたので、地蔵庵を宿場の東入り口に移して、宿場の火難を防ぐ『火伏地蔵』として祀ったところ、以来一度も大火は起こらなかった」とある。その後、火伏地蔵は前原郵便局の移転に伴い、現在地(JR筑肥線雷山踏切傍)に移された。