いとしま伝説の時代

神功皇后の足跡

神功皇后は、『古事記』『日本書紀』などに登場する第十四代仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母であり、史書では「気長足姫(おきながたらしひめ)」「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」などとも表記されます。夫である仲哀天皇の熊襲(くまそ)征伐に伴って九州に遠征。現地で天皇が崩御すると、自ら指揮を執って熊襲を服従させ、更には新羅(朝鮮半島)にまで攻め入り勝利したタフな女性とされています。


 この遠征にまつわる伝承は、その足跡をたどるように、ルート上の各所に残されていますが、なかでも遠征の拠点であった北部九州には、皇后が休息したという「腰掛け石」や、皇子をお産みになった「宇美神社」など多くの伝承があり、その数は三千にも上るといいます。


 戦前は実在の人物とされていた神功皇后ですが、皇后でありながらも巫女として神懸かりを行い、妊婦でありながらも男装して朝鮮半島に攻め入るといった超人的イメージから、戦後は、伝説上の人物に過ぎないとする見解が主流でした。


 しかし、単なる伝説にしては、伝承地の数があまりにも多いこと▽記紀に記されてある道筋を実際に伝承地で辿(たど)れること▽記紀に記されていない伝承も各地に残ること-などから、近年では実在を前提とする研究もあります。


 凱旋後は、応神天皇が即位するまでの約七十年間を「摂政」として君臨したため、「記紀」では、歴代の天皇にも並ぶ扱いをされています。 (志摩歴史資料館)


 ◇ 企画展「いとしま伝説の時代-伝説の背景にあるもの-」は、29日から9月10日まで、糸島市・志摩歴史資料館で開催。同資料館092(327)4422

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